【2】
熊野の山の鬱蒼と繁った木々が、夏の太陽に照らされて輝いている。
その眩しさが、暑さにさらに拍車をかけた。
いくら拭っても、後から後から汗が噴き出てくる。
「待って、将臣くん。知盛がついてきてないよ」
隣を歩く将臣の袖を引いて、望美は後ろを振り返った。
「いつものことじゃねぇか」
ため息を吐きつつ、将臣も後ろを振り返った。
だが、遅れている張本人は何も気にしていないようで、あくまでマイペースを保っている。
ゆるゆるとした歩みで近づいてきたかと思ったら、今度はそのまま将臣と望美を追い越していってしまう。
「ちょっと、知盛!」
望美は、今度は勝手に先へと行ってしまう知盛の腕を掴んだ。
すると知盛は、いささか不機嫌そうに、望美をぎろりと睨みつけた。
その迫力に一瞬腕を掴んだ手を離しかけてしまったが、もう一度ぐっと掴むと望美も負けじと睨みつける。
「少しは合わせるってこと、考えてよ」
「フッ……」
望美の言葉に答える代わりに、知盛は忍び笑いを漏らして目を閉じた。
そんな彼の態度が、望美はますます気に喰わない。
もう一言言ってやろうとしたところで、将臣が二人の間に割って入ってきた。
「望美、そうカリカリ怒るなって。お前がこいつのマイペースさに慣れた方が、絶対に早いぜ」
将臣の言葉に、望美は不満げに唇を尖らせた。
「だって、今は3人で行動しているんだよ。怨霊もいっぱい出てくるし、勝手なことをされたら困るよ」
「ったく……」
将臣はため息吐きつつ、道端にある小さな岩に腰掛けた。
「お前らって、よく似てるよな……」
「どこが!?私、知盛みたいにマイペースじゃないよ」
「そーゆー風に、頑固と言うかゆずらねぇところが」
「断じて似てない!」
「はいはい。喧嘩をするほど仲がいいって言うしな」
望美の反論を軽くあしらいながら、将臣は竹筒に入れた水をぐっと飲んだ。
「還……将臣殿、お探ししました」
そんなやりとりをしていると、地味な色合いの水干を身につけた男が現れた。
3人に追いつこうとして山道を駆けてきたのだろう、息を切らせ汗も滴らせている。
その男を一目見て、平家の舎人であることを望美は心の中で察した。
還内府ではなく”将臣殿”と呼んだのは、平家の人間ではない望美が傍にいたからだろう。
先の戦で福原の都を落とされた今の平家は、逆賊として追われる身。
その平家が起死回生をはかるには、熊野水軍の協力を仰がねばならない。
将臣と知盛がこうして熊野にいるのも、隠密に行われていることだ。
「悪いけど、しばらく時間をくれ。用事ができた」
「分かった。ここで待ってるから」
「ああ、すまねぇな」
「気にしないでいいよ」
「サンキュ」
そう言うと、将臣は男と二人で山奥へと消えていった。
見送った後で、望美は将臣が先ほどまで腰掛けていた岩にちょこんと座った。
知盛はその様子を、木の幹に凭れて見つめていた。
「幼馴染殿には、随分とご寛容なことで」
「……?」
皮肉交じりの言葉に、望美は意味を量りかねて首を傾げる。
すっと目を細めると知盛は続けた。
「”合わせる”ことを考えろと、先ほどお前は言っただろう?」
「それとこれとは別問題だよ。将臣くんには、特別な事情があるから」
「クッ……妬けるな」
「そんなこと、思ってもいない癖に」
「ほう?神子殿は、人の心を読むことができるのか?」
「あなたの態度で、何となく分かるの」
「それはそれは……」
薄い笑みを浮かべたまま、望美を見つめてくる知盛。
その視線に居心地の悪さを感じて、望美はスニーカーのつま先を見つめた。
雨の日に出会い、こうして将臣、知盛、望美の三人で行動するようになってから、今日で4日目になろうとしている。
知盛が絡んでくるとついむきになってしまう自分がいることに、望美は戸惑いを覚えていた。
初めての出会いは、平家の放った炎に飲み込まれた京の都で。
二度目の出会いは、戦火広がる生田の森で。
これまで辿った運命の中で、幾度となく知盛とは出会ってきた。
彼との出会いには、いつだって戦いが付きまとっていた。
そして、いつだって炎に包まれていた……。
望美は、視線を知盛へとちらりと移す。
木の幹に凭れたまま、彼はまだ望美を見つめていた。
こうして一見寛いでいるように見える知盛は、これまでの戦いの中で見てきた彼とはまったく違う。
こういった彼と接したことが無いから、ペースが乱されているのかもしれない。
そんなことを思いながら、望美はスニーカーのつま先へと視線を戻した。
「神子殿、客人がいらっしゃったようだ」
「え?」
知盛にそう言われて顔を上げると、先ほどまでの眩しい陽の光は何処かへ去り、あたりが黒いもやに包まれていた。
続いて、地の底から湧き上がる呻き声。
怨霊だ。
望美は、剣を手に立ち上がる。
徐々に形を成してくる怨霊の様子を見ながら、望美は唇を噛み締めた。
これは恐らく、水属性の敵だ。
「水克火……。お嬢さんにとって、難敵のようだな……」
望美の五行属性は、火。
水属性の敵は、最も苦手とするところだった。
そのことをよく知っている知盛は、楽しそうに言った。
戦いの為に剣を構える望美とは対照的に、知盛は相変わらず木の幹に凭れ掛かり見物を決め込んでいる。
「それが、どうしたっていうの?集中しているんだから、協力する気がないのなら黙っていて」
「クッ……神子殿のお手並みを、しかと拝見させていただこう」
1体、2体、3体…………6体、7体……。
形を成した怨霊の数が、増えていく。
相手の数は多いが、幾多の怨霊と戦ってきた経験のある望美にとっては、勝てないほどではない。
望美は勢いよく地面を蹴って、斬り込んで行った。
――キィン
望美の剣が、硬質な音を上げて怨霊に食い込む。
だが、望美の火属性の攻撃では、一撃で倒されてはくれない。
もう一撃加えると、怨霊はようやく霧散した。
息つく暇も無く、次の怨霊へと立ち向かっていく。
すると怨霊は、望美の攻撃から身を守るために、瘴気の混じった霧を吹き出してきた。
「くぅっ……!」
その攻撃をかわそうとした望美の肩に、瘴気が掠めた。
肩が熱を持ちじんじん痛んだが、怯むことなく斬り込んだ。
渾身の一撃で、2体目の怨霊が消える。
あと、5体……。
攻撃を食らった肩の熱が、徐々に全身へと広がり始める。
瘴気が身体を蝕み始め、息が上がってくる。
「お助けいたしましょうか?神子殿」
苦しげに肩で息をする望美を揶揄するように、知盛が尋ねてくる。
望美はぐっと剣の柄を握りなおすと、短く言い放つ。
「いらない」
そして、次の怨霊へ猛然と向かっていく。
だが、望美の剣の勢いが衰えているのは明らかだった。
徐々に押され気味になってくる。
だが、そうなってなお、望美の目の力は衰えない。
やっとの思いで3体目を倒し、次の怨霊へ……。
だが、そこで望美の動きは封じられた。
見物を決め込んでいた知盛が、望美の腕を掴むと自分の方へと引き寄せてきたから。
「来いよ……。世話の焼けるお嬢さんだ……」
その言葉と同時に、瘴気に中てられ、熱を孕んでいた望美の身体が軽くなった。
気が、流れ込んできたのだ。
望美の腕を掴んだ知盛の手から、彼の気が……。
知盛の気で、望美の全身が満たされていく。
戦いの最中にあることを忘れてしまうくらい、それは心地のよいものだった。
身体中が知盛に満たされて、溢れてくる……。
瘴気の熱とは違う熱が、望美の身体を支配しはじめる。
「これは……」
すると知盛が、驚愕したかのように呟いた。
望美の中を満たした知盛の気が、彼女のものと混じり合って知盛の中へと流れ込んできたからだ。
そして、溢れ出た気は一つの形を成す。
――紅蓮光斬
”神子と八葉”という絆をもってしか使うことのできないと思われていた術が、そこで発動した。
金属性の術となり、紅蓮の光が周囲を満たす。
光とともに、怨霊たちはすべて、断末魔の声を上げて霧散した。
その様は、まさに血の饗宴。
血の饗宴の後に残ったのは、異常なまでの高揚感だった。
一向に醒めそうにない高揚感に、望美はその場にへたり込んでしまった。
身体が、熱い……。
封印された怨霊は、五行の流れの中へと還っていく。
水属性の怨霊は水へ還り、空から雨を降らせた。
知盛は、雨に打たれ呆然としている望美の腕を無言で掴むと木の下へと連れて行った。
そこでなら、青々と繁った葉が、望美を雨から守ってくれる。
「ありがとう」
自然と零れてきた言葉を聞いて、知盛は声を殺して笑った。
「何がおかしいの?」
素直に礼を言っただけなのに、知盛の態度は相変わらずだ。
むっとして知盛を見ると、頤に手を掛けられて顔を覗き込まれた。
微かな吐息も感じられるくらいの距離に彼の顔がきて、望美は動揺した。
その隙を逃さず、知盛は望美の背を木の幹に押し付ける。
「まだ、醒めやらぬようだな。隙だらけだぜ……?」
「……っ!?」
知盛は口の端を上げて微かに笑みを浮かべると、望美の足の間に膝を割って入れてきた。
そうすることによって、確信を得たのだろう。
望美の耳元へと唇を寄せてきて、囁いた。
「身体が熱くてたまらないだろう……?」
「そんなこと……ない……」
「強がりはやめておけ。隠しきれて、いないぜ……」
徐に知盛は、望美の耳朶に歯を立てた。
高揚感のせいで敏感になっているのか、痺れるような感覚が走って、望美は身体を震わせた。
「神子殿のお望みのままに、”合わせる”ことを覚えてやったんだ。心地、よかったんだろう?」
「……」
これ以上、告げられた言葉を否定することはできなかった。
だが、肯定することもできなかった。
あくまで望美は”源氏の神子”であり、知盛は”平家の将”。
これまでの運命で、数え切れないほど剣を交わしてきた敵だ。
敵のはずなのに……先ほど受け入れた知盛の気はあまりにも心地よかった。
しかしその心地よさを認めてしまったら、きっと後戻りできなくなる。
「俺は、お前と”合わせる”のは……心地……よかったぜ」
耳朶から唇を離すと、知盛は望美の顔を覗き込んできた。
紫水晶を思わせる知盛の瞳が間近に迫り、縛り付けられたかのように動くことができない。
言葉を紡ごうとしたものの、唇は戦慄くばかり。
だが、知盛は望美の言葉など求めていないのか、その反応を見て満足げな笑みを浮かべた。
「言葉などにしなくても、お前の瞳が語っているさ……」
そう言うと、知盛の顔がさらに近づいてきた。
少しでも身じろいでしまえば、唇が触れてしまいそうな距離。
思わず望美は、身体を硬くしてぎゅっと目を閉じた。
望美の長い髪を、知盛の指が絡め取る。
その次の瞬間、首筋にちりりとした痛みが走った。
その痛みに目を開けると、知盛が望美の首筋に口付けたことが分かった。
知盛は顔を上げると、ふっと目を細める。
すると今度は、望美の着物の袷を緩く寛げさせると、そこに唇を落としてきた。
首筋に与えられた痛みを伴う口付けとは違い、啄ばむようにやさしい口付けが胸元に繰り返される。
知盛に口付けられた場所から、身体が熱くなってくる。
「あ……」
思わず零れた自分の甘い声に、望美は驚きを隠せない。
すると知盛が、尋ねてきた。
「俺が、欲しいか……?」
唇を押し当てたままで、くぐもった声での問いに、望美はすぐに答えることができない。
これまで、剣を交えた時の知盛しか望美は知らなかった。
ともに……仲間として共有する時間を持ったのは、この熊野でが初めてのこと。
知盛のマイペースさにむきになって怒り、無駄だと分かっていながらも絡んでしまう。
それは、何故なのか……。
「俺が、欲しいか……?」
唇を離すと、もう一度知盛は尋ねてきた。
望美を見据える知盛の瞳は、先ほどまでの半ば強引な行為とは違い、意外なほどやさしい光を宿している。
こんな知盛を、知らない……。
戸惑いが、望美の心を支配し始めた。
「……分からない」
やっと返すことのできた言葉は、その一言だけ。
それを聞くと知盛は、クッと独特の笑い声を上げて望美から離れた。
「俺を殺しに来い。楽しみに待ってるぜ、源氏の神子殿」
そう言うと知盛は、望美の隣に立ち、木の幹に凭れ掛かり息をついた。
「あなたを殺す……。そんなこと、したくない」
乱れた着物の袷を直しながら、望美は呟いた。
知盛は、ちらりと横目で望美を見遣ったがすぐに目を逸らした。
雨が止んで将臣が戻ってくるまでのひとしきりの間、二人は一緒にいた。
降り注ぐ雨を見つめながら。
ただ、黙って。