〔3〕

春浅い瀬戸内の海に吹く風は、冷たい。
三草山から福原へと攻め入ることによって開かれた新たな運命でも、壇ノ浦へとやってくることになった。
この運命で得た、敵将・平知盛との新たな絆を胸に秘めて。
だが、知盛が辿ったのはこれまでと同じ運命だった。

「源氏の神子、待っていたぜ」
「知盛……」
「お前と離れてから、ずっと……お前に会える日を楽しみにしていた。来いよ……本当のお前を見せてみろ」

結局望美は、知盛と壇ノ浦で剣を交えることになった。
互いに傷つき傷つけあいながらも、一歩も譲ることなく戦った。
勝利を手にしたのは望美で、敗れたのは知盛。
そして、敗者の知盛が選ぶのは、死という選択肢。

「知盛……死ぬなんて許さない!生きて!」

知盛の傷ついた腕に縋りつき、望美は必死で訴えた。
望美の手のひらに、知盛の傷から流れ出た血の温かい感触を感じる。
まだ、彼は生きている。
知盛に血を流させたのは、紛れもなく望美の剣。
譲るつもりなどなかったから。
だのに、今望美の胸を満たしているのは、知盛に生きて欲しいという思いだけ。
しかし望美の訴えは、知盛には届きそうにもなかった。
知盛の顔は、十分やったという満足感に満ちている。

「俺は、生きたさ……。お前が生かした、十分に……」
「嫌だ……。生きて……」
「お前に神の加護があったとしても、俺を変えることはできない」
「そんなの駄目……」

首を振りながら子どものように駄々をこねる望美の腕を、知盛は振り解こうとした。
だが、望美は必死で抵抗を示す。
今離してしまったら、知盛は消えてしまう。
そんな思いでいっぱいだった。
すると知盛は、声を上げて笑った。
こんなに晴れやかに笑う知盛を見るのは、初めてだった。

「お前は、残酷な女だ……」
「私が……残酷……?」

望美は、呆然とした顔で知盛を見つめた。

「俺は、変わらない」
「……」
「だのにお前は、俺に変われと乞う。涙を浮かべながら」
「私はただ……あなたに生きて欲しいから」
「だからお前は、残酷な女だ……」

そう言うと、知盛は望美の腕をそっと掴んだ。
先ほど合わせたばかりの剣の強さとは違い、その行為はやさしさに溢れている。
知盛という男のすべてを、表しているかのように。
それを感じて、望美のすがる手の力は少しずつ抜けていった。

「お前と合わせるのは、楽しかったぜ。剣だけでなく、な……」

知盛が微笑んだと思った次の瞬間、望美は思い切り突き飛ばされた。
倒れこみそうになる望美を咄嗟に支えたのは、近くにいた譲だった。

「じゃあ、な……」

知盛はあっという間に海中へと消えた。
浪の下にあるという都へと……。
満足げな笑みを残して。
知盛の消えていった海を、望美はただ眺めていた。
頬には気づかないうちに、涙が流れていた。

「先輩。大丈夫ですか?」

支えてくれた譲がやさしく声を掛けてくれたが、望美は答えることができなかった。

「先輩……一体どこで知盛と……」

案じるように、譲が呟いた。
大切にしてくれる仲間がこんなに近くにいるのに、望美が考えているのは今、海へと消えた敵将である知盛のことだけ。
彼を喪うと同時に、ようやく気がついた。

――自分は、知盛にどうしようもないほど惹かれていた。

だが、すでに遅かった。





それから望美は、逆鱗を用いて何度も運命を辿った。
知盛を生かすために……。
だが、何度繰り返しても結果は同じだった。
知盛はいつだって、海へと消えていってしまう。
まるで海が、知盛を奪っていくかのように。



「神子……願いはある?一つだけ叶えてあげる。あなたの龍として、最後にしてあげたい」

これは、何度目の運命だろう。
やはり望美は壇ノ浦で知盛と戦い勝利して、知盛はまた海中へと消えていった。
そして今回の戦いでは、望美が知盛と戦っている間に、平家はさらに西へと逃げていき源氏の手の届かないところへ行ってしまった。
その結果として、すべてが解決したわけでは無いのだが、戦は終わってしまったのだ。
一応の戦いを終え、元の世界へと帰ることになった望美に、白龍が申し出てきた。

「…願い……。それなら、生かして欲しい人がいるの……あの人を死なせないで欲しい……」

しかし望美の言葉に、白龍は首を振った。

「神子、ごめん。それはできない。私が神であったとしても、人という存在を自由にすることはできない」
「…そんな……」

願いなんて、他には無い。
知盛を手に入れる以外に……。
それならば……。
望美は、唇を噛み締めると言った。

「じゃあ、元の世界へ帰る私の……あの人に関する記憶だけ、すべて消して」
「神子……」

白龍が、困ったように首を傾げた。

「すべて消えてしまえば……。あの人と出会ったことから無かったことになれば、きっと失う苦しみを感じることもないだろうから……」
「分かったよ。神子」

望美の真摯な願いに、白龍は確かに頷いた。
だが、苦しげな表情で続けた。

「でも神子、一つだけ分かっていて?神であったとしても、人という存在を自由にすることはできないって、さっき私は言ったよね」
「うん」
「自由にすることができない……つまり、人を変えることはできない」
「それって……」
「あなたの記憶をすべて消すことはできない。私にできるのは、ただ、思い出さないように封じることだけだよ」

その言葉と同時に、周囲が白い光で満たされる。
それは、白龍の力が発動された証。

「封じたものが、ふとした瞬間に溢れてしまうかもしれない。そうなった時、あなたはきっともっと苦しい思いをする。それでもいいの……?」
「それでも、構わない。この苦しさから、少しでも解放されるのなら……」
「分かった」

白い光が広がり、眩しさに目が眩む。
それと同時に、望美の知盛に関する記憶はすべて消え、元の世界へと帰ることになった。
幼馴染の一人、譲とともに。





雨に濡れた髪から、雫がぽとりと落ち、頬を伝って地面へと落ちていく。
それは彼女の雨なのか、涙なのか。
そんなことをぼんやりと思いながら、譲は望美を見つめていた。

「譲くん。私、どうして将臣くんのことまで忘れてしまっていたのかな……?」

忘れていたすべてを思い出した望美は、自嘲気味の笑みを浮かべながらそう言った。

「兄さんの記憶は、先輩の忘れたかった知盛の記憶に繋がっていたからでしょう」
「そっか……」

望美はそう呟くと、胸元に手を当てて俯いた。

「先輩……」

望美の胸元には、白い光を微かに放つ逆鱗がネックレスとしてある。
それを目にして、譲は眉を顰めた。
逆鱗に宿る力がどんなものであるのかを、今の譲は知っている。

「譲くん。私ね、あの人のことを忘れてしまえば、楽になれると思ってた」
「はい」
「でも、おかしいよね。忘れている間も、とても苦しかった……」

そう言うと、望美は逆鱗をぎゅっと握り締めた。

「訳も分からないまま苦しくて……。息が詰まりそうで……」
「人を変えることはできませんから……。例え、神の力をもってしても」
「私の気持ちも?」
「ええ。それだけ人の心とは、強いものなんでしょう」
「強い気持ち……」
「だから、いつか思い出す日が来ることは、予感していました。それまでは……先輩の傍で……支えようって……」
「譲くん……」

握り締めた逆鱗の放つ、白い光が少しずつ強くなってきた。
時空を越える力が、動き始める。

「行くんですか?」
「っ……」

譲の問いに、望美は唇をきりりと噛んだが、無言で……しかし、はっきりと頷いた。
それは、一片の迷いの無い答えだった。

「ありがとう……。そして、ごめんね……」

まばゆい光とともに、望美は時空の流れの中へと消えた。
新たな運命を切り開くために。
先ほどまで望美が立っていたところに残された水溜りを、譲は一人佇み見つめていた。
彼女が新たに辿る運命の中でも、きっと自分は、傍らでひたすら見守っているだろう。
望美が、前に進んでいく姿を。
でも、きっとそれが本来あるべき姿なのだ。
それが、譲の愛した望美の姿なのだから……。
一つ頷くと、譲は歩き始める。

先ほどまであんなに降っていた雨は、いつの間にか止んでいた。



源氏と平家の間に和議が、明日結ばれることになった。
知盛が海に奪われていくことを避けるために望美が選んだのは、戦を終わらせるという運命。
平家の邸の近くにある森の中に、知盛を追って入った。
この運命での知盛は、望美のことをまったく知らない。
けれども、知盛を生かす運命はここにしかないのだから、望美と言う存在をここで刻むしかない。
剣を抜くと、知盛の行く手を阻むように前へと躍り出る。
ただならぬ思いを抱えて剣を携える望美に、知盛は炎を見た。

「火剋金……。俺を燃やし尽くそうと言うのか?クッ……面白い女だな」
「女じゃない……。私には名前がある。源氏の神子……春日望美」

出会うなり剣を向けてきた望美に、知盛は興味を持ったようだった。
この状況を純粋に楽しんでいる様子で、剣を抜いた。

「燃やし尽くされたのは、私の方だよ。あなたが欲しくて、焦がれて、苦しくて……」

望美の言葉にすっと目を細めると、知盛が問いかけてきた。

「……俺が、欲しいか?」

それは、夏の熊野では、望美が答えることのできなかった問い。
あの知盛と今の知盛は違うはずなのに、同じことを尋ねてくるのが不思議だ。
だが、今の望美には迷いが無い。

「あなたが欲しい……。あなたのすべてが!」

知盛をまっすぐに見据え、きっぱりと言い切った。
すると知盛は、望美の言葉に答える代わりに、強く剣を打ち付けてきた。
それを受け止めながら、望美は自然と笑みがこぼれてきた。
求めていたのは、この瞬間だ。

「あなたを喪う苦しみを重ねて、一度それから逃げた。でも、もう迷わない。あなたを……知盛を手に入れるためなら、どんな手段だって使ってみせる!」
「いい言葉だ。俺を……本気にさせてみろ」

望美は受け止めた知盛の剣を薙ぎ払うと、掛け声を上げて剣を振った。
ともに生きる未来を模索するために振るう剣は、これ以上ないほどに望美を強く美しくする。
剣を振るう動きに合わせて、長い髪がふわりと舞った。


「知盛アンソロジーinでじたる2」寄稿作品