ナイトフィーバー

長い夜を、一緒に踊ろう。


晩御飯の用意は、万全。
嶺二さんから、スタジオを出たとの連絡を貰ってからの時間を逆算すると、もうそろそろ到着するはず。
それでもわたしは落ち着き無く、キッチンと食卓の間をそわそわと意味も無く往復してしまう。
そんなことをしているうちに、玄関のチャイムが鳴ったので、わたしは急いでドアを開けた。
ドアを開けた先にいるのは、恋人の嶺二さん。
久しぶりにオフが重なったから、今夜は一緒にご飯を食べる約束をしたのだ。
人気アイドルの嶺二さんは、ドラマにバラエティにと引っ張りだこ。
わたしも作曲家としての実績が徐々に認められつつあって、個人的に依頼を受けることも増えてきた。
その分、会える時間は減ってしまったけど、会えるときは密度の濃い時間を送りたい。
そんな思いから、今日は張り切って準備をしていたのだ。

「あ……あの、おかえりなさい!」
「うん。ただいま!」

この挨拶は、お付き合いをするようになってから、ふたりで決めた。
相手の家を訪ねるときは、「おかえり」「ただいま」をきちんと言うこと。
新婚さんみたいでくすぐったくて、言うときはいつも照れてしまう。
何度やっても慣れない。

「ほ・ら!春歌」

挨拶だけで照れてもじもじしているわたしに、嶺二さんは笑いながら自分のほっぺたをつんつんと突っついた。
うう、すごく恥ずかしいけど、これも二人で決めたことだから……。

「失礼します」

背伸びをすると、わたしは、嶺二さんのほっぺたに軽くちゅっとキスをした。
おかえりなさいのキス。
家で迎える方から、必ずすること。
それも、ふたりで決めたことだ。

「うん。合格!そのエプロン、すごく似合ってるね。本当にぼくの奥さんみたい」
「……ありがとうございます」

そんなことを言いながら満面の笑みを浮かべて、嶺二さんは靴を脱ぐ。
ほめられたのに、なんだか照れくさい。

「ご飯の準備が出来ています」
「ありがと!でもー、ここで言う台詞は、おかえりなさいあなた。ご飯にする?お風呂?それともわ・た・し?でしょー」
「へっ!?あ、あの……」

うろたえるわたしの頬に、今度は嶺二さんがちゅっとキスをしてきた。

「動揺しちゃって可愛いね。ジョークだよん」
「え……ジョークですか……」
「うん」

頷きながら、嶺二さんはすっと目を細める。
いつものお茶目な顔とは違う、もうひとつの嶺二さんの顔。
ドクンと胸の鼓動が高まる。

「そんなこと聞かれても、ぼくには春歌の一択しかないでしょ。でも、ご飯のすっごくいい匂いするし……。頑張って用意してくれたのが分かるから、冷めちゃう前に食べたいし。だからこれからも、ぼくにご飯以外の選択肢を出しちゃダメだからね!」
「ふふっ、分かりました」
「よろしく!じゃあ、ご飯にしよう」

再びいつもの笑顔を浮かべると、嶺二さんは食卓についた。
そして、テーブルの上に所狭しと並べられている料理に、目を丸くした。

「すっごい豪華料理だね。これだけ用意するの、大変だったでしょ?」

”明日はオフだから、上がったら春歌の部屋に行くね”という嶺二さんからメールを受け取ったのが、今朝のことだった。
今日明日とオフなわたしは、久しぶりに会える喜びから逸る心を抑えきれず、ご飯の準備に没頭することで宥めた。
そのため、出来上がった料理は、確かに二人で食べるには豪華すぎるものになってしまった。
でも、お疲れの嶺二さんを少しでも癒すことが出来たらって思いも、たくさん詰まっている。

「久しぶりにお会いできるのが嬉しくて、気合いが入ってしまい……。これはさすがに多かったですよね」

申し訳ない気がして、ご飯を盛り付けるために手にしていたしゃもじで、わたしは思わず顔を隠した。

「そんな顔をしちゃダメ!実は今日、収録が押していて、お昼ご飯を食べる暇が無かったんだよね。だから、れいちゃんはお腹ぺっこぺこなんだ。心配ご無用!全部食べれちゃうよ」
「ありがとうございます」

やさしい嶺二さん。
わたしは嬉しくて笑顔を浮かべると、嶺二さんも、にっこりとしながらうんうんと頷いた。

「じゃあ、食べようか」

わたしが席に着くと、手を合わせて一緒にいただきますをした。
嶺二さんがおいしいねって言いながら食べてくれるから、がんばって用意をした甲斐があったなと思いながら、幸せなひと時を過ごした。



「ありがとうございます。お片づけを手伝っていただいて」
「ううん。当然のことでしょ。おいしいご飯をごちそうになったんだから」

恐縮しながら言うわたしに、嶺二さんは笑みを浮かべて答えてくれた。
作ったご飯を全部食べきって、わたしたちはキッチンで食器を洗い、後片づけをした。
結構な量の食器だったのに、嶺二さんが手伝ってくれたおかげで、あっという間に終わってしまった。
二人でやったからというのもあるけれど、週に3回は実家のお弁当屋を手伝っているだけあって、嶺二さんの手際はとにかくいい。
片づけも終わったところで、お茶でも淹れた方がいいだろうかと、わたしは棚からケトルを取り出しながら尋ねる。

「お茶を淹れますね。リビングで待っていてください。あ……それとも、お風呂の用意をした方がいいですか?お疲れですよね?」

ケトルに水を入れながら何となくそんなことを言ったところで、ふいに嶺二さんに後ろから抱きすくめられた。
ドクンと心臓が大きく跳ね上がり、止まっちゃうんじゃないかって思った。
注いでいた水がみるみるケトルから溢れ出し、わたしの手を濡らす。
嶺二さんは、わたしを抱きすくめた姿勢のまま手を伸ばし、きゅっと蛇口のコックを閉めた。

「お茶も、お風呂もいいんだけど……。ぼく的には……そろそろしたいかな……」

耳朶をくすぐるように、そんなことを囁かれる。
嶺二さんが普段は表に出さない、いつもよりちょっとトーンの低い、男を感じさせる声。
自分の心臓の音が頭まで響いてきて、わたしは眩暈がしてきた。

「あの……したい……って……」
「分からない……?」

背中に当たっている嶺二さんの胸が上下して、笑っているんだなってことが分かる。
この状況で言う、したいの意味が分からないほど、わたしは子どもじゃない。
これまでに、嶺二さんと何度もそういったことをした。
毎回、嶺二さんの誘い方は、とてもストレートで……。
でも、その誘いにすぐに答えられるほど大人でもないわたしは、振り返ることも出来ず言葉に詰まるしかない。

「今、ぼくが君としたいことが、トランプや人生ゲームじゃないってこと。それは分かるよね?」

どうして人生ゲーム?という正直な疑問が頭によぎったけれど、それどころじゃなかった。
嶺二さんが、わたしの首筋にキスをしてきたからだ。
わざと、チュッと音を立ててのキス。
そのくすぐったい感触に、思わず声が出そうになってしまい、わたしは唇を引き結んで、必死の思いで頷いた。

「分かってるのにぼくを振りほどかないってことは、OKしてくれてるって考えてもいいのかな?」

くすくすと嶺二さんは笑いながら、エプロンの脇からゆっくりと手を差し入れてきた。
嶺二さんの手のひらが、服の上からわたしの胸の膨らみを覆う。
握っていたケトルが手から滑って、流し台の上にけたたましい音を立てて落ちた。
でも、そんなことお構いなしで、嶺二さんはわたしの胸をやわやわと揉んでくる。

「やわらかーい。久しぶりの春歌のおっぱい……。この感触、いいよね。ぼくの手にちょっと余るくらいの大きさも丁度いいし……。もう、最高」
「ちょっと待ってください。嶺二さん!」

さらにいたずらを仕掛けてきそうな嶺二さんの手を、わたしは掴んだ。

「えーーー。ブーブー!いいじゃーーん。だって、最近ご無沙汰だったんだしーー。お兄さん、もうこのまま枯れちゃうんじゃないかってくらい、春歌不足なんだけどー」

抵抗するわたしの後ろで、嶺二さんは不満げな声を上げる。
文句を言いつつも、自由になる方の手がスカートの裾から入り込んできて、わたしの太ももを撫で上げてきた。
ぴくりと跳ねる体に反抗しつつ、わたしはそちらの手の動きも封じた。
本当に、油断できない。

「お風呂!お風呂の準備が、出来てますから」
「ご飯食べる間は我慢したんだから、もうダメーー」
「あの……嶺二さんは良くても、わたしがちょっと……。今日のお仕事は外回りで移動が多かったので、汗をかいちゃっていて……」

わたしがそう主張すると、嶺二さんは鼻先をわたしの首筋に近づけて、くんくんと匂いを嗅ぎだした。

「やめてください。汗くさいですから……」
「春歌は、くさくないからだいじょーぶ!」

そんなはずないとわたしが首を振ったら、嶺二さんは耳に唇を寄せて囁いてきた。

「むしろ、すごく興奮するんだけど……。このままエッチするのも、燃えそうだよ?」

嶺二さんの声に弱いわたしは、そのまま誘惑に負けてしまいそうになる。
でも、これだけは譲れない。

「とにかくダメです!お風呂が先です!」
「ちぇっ……。ぼくちんの本気の誘惑を断る女の子は、春歌が初めてだよ」
「そうですか……。わたしが初めてですか……」

経験値の差を思い知らせる言葉に、わたしはますますムキになってきた。

「断ったのがわたしが初めてだなんて、とても光栄です。そういうわけで、先にお風呂にしますね」

いつもどおりに言ったつもりだけど、わたしの発した言葉に潜む棘と微かに震えた語尾に、嶺二さんはすぐに気づいた。

「あれ?ひょっとして、怒った?」
「別に怒っていません」

そんなの嘘。
どんどん小さくなっていく語尾から、絶対ばれている。
嶺二さんは、わたしよりも8歳年上でとても素敵な大人の男性だから、そういった経験が無い方がおかしいと思う。
だから、気にしないようにはしているのだけど、改めて知らされると少し胸が痛む。
嶺二さんの腕の力が緩んだので無理やり解くと、わたしは準備をするためにバスルームへ向かおうとした。
しかし、そんなわたしの腕を嶺二さんが捕らえた。

「ごめん。調子に乗って、君を嫌な気持ちにさせたね」

さっきまでの軽い感じではなく、真剣な声音で謝られた。

「いえ……大丈夫です」
「大丈夫なんて言っても、そんなことないでしょ。春歌の大丈夫は信じないことにしているから」

嶺二さんにそのまま引き寄せられて、ふわりと抱き締められた。

「久しぶりに会えたのにこんなことをして……。ぼくって、マジで恋人失格だよね……」
「そんなこと、言わないでください。嶺二さんは、わたしにはもったいないくらいの彼氏さんです!」
「ほんと……?」

わたしを抱きしめる嶺二さんの腕に、力がこもる。

「はい」
「そっかー。サンキューベリベリマッチョッチョー!!!」

わたしの返事を聞くと、嶺二さんは一気にいつも通りのテンションに戻る。
その振り幅の大きさにわたしが戸惑っていると、嶺二さんは勢いに乗ってさらに続ける。

「てなわけで、お風呂にレッツゴー!」
「そうですね。用意は出来ているので、嶺二さんがお先にどうぞ。友ちゃんからお肌にいいバスミルクをもらったので入れてあります。すごくいい香りなんですよ」
「ふーん。それは、楽しみ」
「はい。ゆっくりお風呂に入って、疲れを癒してきてください」
「ノンノン。も・ち・ろ・ん、春歌も一緒に行くんだよ」
「え!?どうしてそうなるんですか?わたしは、嶺二さんの後で結構ですよ!」
「だーーめっ!」

とんでもないことを言い出されて、わたしは嶺二さんの腕の中から逃げようともがいた。
しかし、がっちりとホールドされてしまいそれはかなわない。

「だってさー。今すぐしたいぼくと、先にお風呂に入りたい君。二人の希望を叶えるには、その間を取るしかないじゃーん。どっちかが我慢するなんて、良くないでしょ?不平等だもん」
「う……。でも、間を取ってどうしてそうなるんですか!?」
「ぼく的には、どう考えても間を取って”一緒にお風呂に入る”なんだもん。そうと決まれば、ゴーゴ、ゴー!」

走り始めたら、もう止まらない。
強引な理論に押される形で、わたしは嶺二さんとお風呂に入ることになった。



脱衣所で下着姿のまま、わたしは悩んでいた。
バスルームからは、先に入っている嶺二さんのご機嫌な鼻歌が聞こえる。
これは、先日差し上げた新曲のラフだ……。
気に入ってくれているのかな?
それなら、嬉しい。
はっ!今は、そんなことを考えている場合じゃない。
どうやってお風呂に入るか考えなくちゃ。
お風呂に入るには、裸にならなくちゃいけないわけで……。
でも、こんなに明るいお風呂の中に、素っ裸になって一緒に堂々と入れる自信も勇気もわたしにはない。
とりあえず、嶺二さんに先に入ってもらうことにした。
わたしの思考を見透かすように、ぼくは先に入るけど絶対に逃げちゃダメだからねって、釘を刺された。
うぅ……もうここまで来たら、勢いで乗り切るしかない!
わたしは、ブラとショーツを脱ぐと、バスタオルをぐるりときつく巻き付けて、嶺二さんのいるバスルームへと入っていった。

「いらっしゃいませーー」

湯船に浸かった嶺二さんが、とびきりの笑顔で迎えてくれる。
バスミルクを入れて乳白色になったお湯が、嶺二さんの肩から下を隠してくれていて、少しほっとした。
わたしの姿を確認すると、嶺二さんはパチパチと二度瞬きをした。

「ブーブー。春歌ってば、完全防備じゃん」
「だって、恥ずかしいです。あの……体を洗う間だけ、あちらを向いていてもらえませんか?」
「えーー、どうしようかなーっ……て言うのもかわいそうだから、OK。了解だよん」

嶺二さんが、壁の方を向いたのを確認すると、わたしは体に巻き付けていたバスタオルを取った。
あまり長く待たせるわけにはいかないので、恥ずかしがってばかりいないで、さっさと体を洗おう。
ソープを含ませたボディスポンジを手にとると、洗い始めた。

手、首、肩、胸、お腹、足と、いつも通りの順番で自分の体を洗っていく。
さて、次は背中を……と思ってよいしょと手を伸ばしたところで、すかさず声がかけられた。

「背中……洗ってあげようか?」
「え?」

背中に手を伸ばしたまま振り返ると、湯船に浸かっている嶺二さんと目が合った。
先ほどは恥ずかしくてまともに見ていなかったけど、嶺二さんは、長い襟足が濡れないように、わたしとお揃いのヘアクリップで髪をまとめていた。
そんな姿も様になっているのは、さすがアイドルと言ったところだろうか。

「ね!ぼくが、洗ってあげる」

ウィンクをされたところで、わたしははっとして、体を隠すように縮こまった。

「ああああ!嶺二さん、どうして見ているんですか!?体を洗っている間は、あちらを向いていてくださいって言ったじゃないですか!!!」
「だってさー。壁を見ていても、タイルの枚数を数えるくらいしかやることなくて、つまんないんだもん。それなら、春歌を見ていた方が数万倍楽しいじゃん」
「楽しい楽しくないの問題じゃないです!いつから見ていたんですか?」
「えーーーっと、春歌が左腕を洗うあたりから?」
「……それって、最初からじゃないですか」
「あれ?バレちった?」

いたずらが見つかった子どものように、嶺二さんはぺろりと舌で唇を舐めた。
余裕のある大人な面を見せるかと思いきや、こんな風に子どもっぽい面を見せつけてきて……。
わたしは、翻弄されるばかりだ。

「とにかく、あっちを見ていてください!」
「うーん、どうしよっかなー。タイルの数を数えるのも飽きたしなー。このまま春歌を見ていたいなー。だって、春歌ってばいつも暗い部屋じゃないと裸になってくれないんだもん。せっかくの機会だしさー」
「うぅ、だから余計に恥ずかしいです……」
「それなら、ぼくが背中を洗った方が、君は恥ずかしくないんじゃない?」
「え?」

嶺二さんの言っていることの意味が分からなくて、わたしは思わず首を傾げた。

「お風呂の中から春歌を眺めていると、全身が見えるよね。でも、背中を流すと後ろに回り込むことになるから、全身は見えなくなっちゃう。その方が恥ずかしくないんじゃないかな?まあ、ぼくちんとしては、春歌のきれいな体をじっくり眺められるから、このまま湯船に浸かっていてもいいんだけどね」
「それなら、お願いします!」
「ん?」

話を聞き終えると、縮こまったまま、わたしはボディスポンジを嶺二さんに差し出した。

「嶺二さんのお手をわずらわせるのは申し訳ないですが、背中を流してください。その方が、見えないと言うなら……」
「いいよ。そうこなくっちゃね」

満面の笑みで、嶺二さんはわたしからスポンジを受け取った。
なんだか、うまい具合に嶺二さんの希望通りに事が運ばれている気がする。
そのことを、わたしはすぐに実感することになった。