ポケットの中から取り出した銀色の鍵で、玄関の錠が開かれる。
カチャリという小さな音にも、わたしの鼓動は大きく跳ね上がった。

「入れ」

黒崎さんは、振り返ると短い言葉でそう促した。

「は、はい!それでは、お邪魔します」

今日、わたしは初めて黒崎さんの家に招待された。
仕事のパートナーではなく、恋人としてだ。
なかなか他人に心を許さない黒崎さんが、こうしてわたしをパーソナルゾーンに入れてくれたことは、すごく嬉しい。
でも、それと同時にすごく緊張する。
だって、恋人としての初めての訪問なのだから。
緊張のあまり、右手と右足が同時に出てしまうちぐはぐな歩き方をしそうになる。
ちらりと黒崎さんの様子を伺うと、いつもどおり……というか、むしろ不機嫌……?
そんなことを考えたからか、足が止まってしまった。

「ちんたらしてんじゃねぇ。早く入れ」
「はい!すみません!」

黒崎さんの声にせき立てられて、わたしは慌てて靴を脱いだ。

×××パニック

玄関から、そのままリビングに通された。
黒崎さんらしい、余分なもののないシンプルな部屋だ。
家具類は、モノトーンで統一されている。
部屋の隅に大きなラックがあり、それがひと際存在感を放っている。
そのラックの中に、CDやDVD、今では滅多に見られない古いレコード類が並べられている。
それらはきちんと整頓されていて、大ざっぱに見えるけれど、結構几帳面な黒崎さんの性格がよく表れていた。

「適当に座ってろ。コーヒーでいいか?つーか、他の飲み物をくれって言われてもねぇけど」

返事を聞くつもりはないのか、そう言い捨てるとキッチンへと向かおうとする黒崎さん。
わたしは、慌ててその後を追いかけた。

「お手伝いします」
「コーヒーを淹れるくらい一人で出来る。お前は客なんだから、おとなしく待ってろ」
「でも、黒崎さんの家のキッチンの使い勝手も覚えたいですし……」
「……」

わたしの言葉を聞くと、黒崎さんはそのまま口をつぐんでしまった。
背中を向けたまま、じっと固まっている。
わたしは、何かおかしなことを言ってしまったのだろうか……。
そのままの状態で、10秒くらい経過した。

「あの……。ですから、お手伝いします」

沈黙に耐えかねてわたしがそう言ったら、黒崎さんは振り返るとぎろりとわたしを睨みつけてきた。

「手伝いはいらねぇつってんだろ」
「あ……」

黒崎さんのものすごい剣幕に、わたしは思わず肩を竦めた。
余計なことを、申し出てしまっていたようだ。
かなりへこんだ気持ちで俯くと、黒崎さんはふぅっと深く息を吐くと言った。

「あー……お前は知らねぇだろうが、物事には順番っていうのがあるんだよ。今日、お前は初めておれの家に来たんだ。おとなしくもてなされておけ。でも……次に来たときは、まぁ……頼む」

わたしがおずおずと顔を上げると、黒崎さんと目が合った。
その瞬間、黒崎さんはふいっとそっぽを向く。

「あっちで待ってろ」

そう短く言い捨てると、キッチンへと入っていった。
後ろ姿だけど、黒崎さんの耳が赤くなっているのが見えて、わたしは思わずくすりと笑ってしまった。
別に怒っていたわけじゃないってことが、分かったから。
黒崎さんは、肌の色が白いから、照れているとすぐに分かってしまう。
指摘するときっと照れてますます怒るだろうから、それはわたしだけの秘密だ。



わたしはリビングへと戻ると、そのままソファには座らず、レコードやCD、DVDの並べられたラックを何となく眺めた。
改めて見ると、邦楽だけでなく海外のアーティストのものもあり、70〜80年代のちょっと古いものから最新のものまで網羅されていて、きちんと分類して並べてある。
どれも、ジャンルはロックだ。
ちょっとした資料室みたいだなと思い眺めていると、ふと片隅で目が止まった。
そこには、黒崎さんがこれまでリリースしたCDやDVDが並べられていた。
過去に組んでいたバンド時代のもの、ソロになってからのもの、そしてシャイニング事務所に移籍後のもの……。
黒崎さんの歴史……。
わたしは、黒崎さんの関係しているもので手に入るものは、もうすべて観たり聴いたりしている。
彼とパートナーを組むことになったときに、ロックという未知のジャンルについて知りたくて、様々な資料を読みあさり、たくさんのアーティストの曲を聴いた。
その中に、もちろんパートナーとなった黒崎さんのものも含まれている。
もうすでに把握済みのCDやDVDの中のひとつに、気になるタイトルのものを見つけた。
これは、ひょっとして……。

「ん、何かおもしろいものがあったのか?」

熱々のコーヒーの入ったマグカップを持った黒崎さんが、リビングに戻ってきた。
マグカップをサイドテーブルに置くと、わたしのそばにやってきた。

「……なんだよ。何見てんのかと思ったら、おれのじゃねぇか」

わたしが凝視しているものが分かって、黒崎さんはため息をついた。

「あの、ちょっと棚から出して、見せてもらってもいいですか?」
「あぁ?お前、おれのCDとか全部持ってるんだろう?」
「はい。そうですけど……。でも気になることがあって……」
「いいぜ。気が済むまで見てろ」

黒崎さんはそう言うと、ソファにどかっと腰掛けるとコーヒーを飲み始めた。
わたしは、棚の扉を開けると、その中の一枚を取り出した。
取り出したのは、黒崎さんがシャイニング事務所移籍後に初めてリリースしたライブDVDだ。
そのジャケットを、じっと見つめる……。

「やっぱりそうでした!こ……これこそ、黒崎蘭丸ファーストソロライブDVDの幻の初回版!」
「ぶほっ!」

いきなりわたしが大声を出したせいで驚いたのか、黒崎さんはコーヒーでむせた様子だった。

「あ、すみません。驚かせてしまいましたね……。でも、このDVDは、黒崎蘭丸移籍後初のDVDであり、初回版には楽屋裏の様子やプライベート映像なるものが入っていて……。つまり、黒崎蘭丸ファン垂涎の的とも言える幻の逸品なんです!」
「お前なぁ……。それくらいのことで、いちいち騒ぐんじゃねぇよ」

呆れた様子の黒崎さんに、わたしはDVDをぎゅっと抱きしめる反論する。

「それくらいのことじゃありません!この初回版は、滅多に中古も出ていないですし、オークションに出されたとしてもとんでもない高額で、あっという間に落札されてしまうんです。だから、ずっと手に入らなくて……。これまで、観たくても観ることが出来なかったんです」
「まったくお前は……。どさくさに紛れて人のこと呼び捨てにしやがるし、心臓に悪い……」

黒崎さんは、ため息をつきつつマグカップをテーブルの上に置いた。
えーーっと、ちょっと……いいえ、かなり引かれてしまった?
わたしは元々HAYATO様のファンをやっていたこともあって、ちょっとアイドルオタクっぽい傾向がある。
ずっと観たかった黒崎さんのDVDを見つけて、ついその血が騒いでしまった。
たぶん、黒崎さんはこういうの好きじゃないよね……。
恐る恐る顔色を伺うと、黒崎さんはむっとした顔をしつつも、ついっと手を伸ばしてきた。

「あの……」
「そのDVDを貸せ。観たいんだろ?今から観せてやるよ」
「いいんですか?」
「ああ。お前の言う、ファン垂涎の的っていうDVDがどんなのだったか、おれも観たくなった」
「ありがとうございます!」

DVDを手渡しながら、わたしは嬉しくなった。
黒崎さんは自分が観たくなったからなどと言っているけど、きっとわたしのことを気遣ってくれたのだろう。
この人の不器用なやさしさが、やはり好きだ。
DVDをプレーヤーにセットすると、黒崎さんはソファに腰掛ける。
そして、わたしの方をちらりと見やった。

「突っ立てねぇで、座れ」
「はい」

そう言われて、わたしは思わずリビングの中を見回してしまった。
この部屋に……ソファはひとつしかない。
今、黒崎さんが座っているものだけだ。

「何やってんだ。座るなら、ここに決まってんだろう」
「は、はい!そうです……よね」

わたしは、出来るだけ邪魔にならないように、ソファの隅に腰掛けた。
改めて隣に座るとなると、妙に意識してしまう。

「おい……」

そんなわたしに、黒崎さんは不機嫌そうな声で言った。

「はい!何でしょう?」

背筋をピンと伸ばして、返事をする。
まともに、黒崎さんの顔を見ることができない。

「もっと真ん中にちゃんと座れ。そんな隅に座ってたら、落っこちるだろうが」
「分かりました……」

わたしは、少しだけ真ん中に寄る。
黒崎さんは、焦れた様子で自分のすぐ近くをポンポンと叩いた。

「お前なぁ……。ここに座れ」
「はい。すみません」

指定されたところに、わたしは座る。
やっぱり近い……。
ドキドキする心臓を宥めようと、わたしはひざの上に乗せた手を、無意識のうちに握ったり開いたりする。

「なぁ……」
「はい?」
「お前、香水かなんか付けてんのか?」
「いいえ、付けていません」
「そうか……」

黒崎さんは、短くそう返事をすると黙り込んだ。
自分で自分の匂いは分からないけれど、何か変な匂いがするのだろうか?
無言でテレビを見つめる黒崎さんの横顔からは、伺い知ることは出来ない。

「わたし、変な匂いがしますか?自分では分からないんですが、くさいとか……」
「んな訳あるか!」
「……でも……何も付けていないので、変なにおいがしているんじゃないかと……」
「気にすんな。お前が近くに来たら、甘ったるい匂いがしたから聞いてみただけだ」
「……」

わたしは、黒崎さんからさりげなく距離を取ってみた。
くさい……訳ではないみたいだけど、匂いが気になるというのなら、少し離れた方がいいかと考えたからだ。

「おい。何で離れるんだよ」

黒崎さんは、そんなわたしをぎろりと睨みつけた。

「匂いが気になるようなら、離れた方がいいかなと思って……」
「気にならねぇから、さっきの場所にいろ」
「でも……」
「チッ……」

黒崎さんは舌打ちをすると、わたしの肩に腕を回すと、ぐいと引き寄せた。
その強引な力に、わたしは黒崎さんの肩にもたれかかるような姿勢になった。
黒崎さんが、小さな声で呟く。

「嫌な匂いじゃねぇから、気にすんな……。むしろ……好きな匂いだし……」
「それなら、良かったです。あ、ありがとうございます……」

ただでさえ近かったのに、密着する形になってしまい、わたしは恥ずかしくて身じろごうとした。
けれども、わたしの肩を抱く逞しい腕に、その動きは阻まれた。

「始まるから、おとなしくしてろ」
「でも……」
「あぁ?文句は言わせねぇぞ」
「いえ文句じゃなくて……。本編開始の操作をしないと、始まらないかと……」

テレビの画面は、DVDのトップメニューを表示したままで止まっている。
黒崎さんは、また大きなため息をついた。

「お前……意外と冷静なんだな。いっぱいいっぱいなのは、おれの方かよ。くそっ……」

何やらつぶやきながら、リモコンを操作する。
黒崎さんが何を言ったのか確かめようか迷ったけど、スピーカーから流れる大歓声に、わたしの意識はそっちに奪われてしまった。