【2】
映像の中の黒崎さんも、とても素敵だった。
移籍直後のライブなので、今から数年前のもの。
顔立ちも、今より少しあどけない感じがする。
でも、やはり野性的なかっこよさは変わらない。
わたしの目は、テレビ画面に釘付けになった。
無意識のうちに、うっとりとして感嘆のため息を漏らしてしまう。
「やはり、黒崎さんは素敵です……。このときも素敵ですが……。でも、今の方がもっと素敵です」
「そうか?」
「はい。今の黒崎さんの方が、わたしは好きです」
「あ、あぁ……。サンキュ」
ライブ映像が終わり、いよいよ初回版限定の特典映像になった。
楽屋裏での打ち合わせの様子、ベースの練習をする黒崎さんの様子などの映像が流れていく。
妥協を許さない徹底的な姿勢、そして真剣な表情。
仕事に打ち込むときの、いつもの黒崎さん。
ライブ後、スタッフたちと労りの声を掛け合いながら汗を拭う姿。
リラックスした様子で、時折微笑みを見せる。
これは、普段なかなか見られない表情だ。
感動したわたしは、無意識のうちにこぶしを握り締めていた。
「なあ……」
すると、黙って見ていた黒崎さんが、尋ねてきた。
「女ってのは、こういうプライベート映像って見たいもんなのか?確かこれは製作会議で、女のスタッフが絶対収録した方がいいってごり押ししたこともあって、予定を変更して特典として入れたやつなんだ」
「そうですね。テレビやライブで見られない顔ってのは、見てみたいと思います。好きなアイドルだったら、なおさらかと。こういう限定映像って、ファンにしてみたら、宝物みたいなものですよ」
「そういうもんなのか?女って分からねぇな……」
「ふふっ。分かりにくいですか?対象をアイドルに限らなくても、人間にはそういう心理が少なからずあると思います。好きな人のいろんな顔を知りたいと思うのが、当然の欲求じゃないかと……」
「お前もそうなのか?」
黒崎さんが、わたしをじっと見つめてくる気配があった。
わたしはまだ顔をテレビの方に向けているけれど、痛いくらいに視線を感じる。
映像を見ている間は忘れていた、わたしの胸のドキドキが復活する。
DVDの映像は、いつの間にか終わっていた。
「そうですね……。好きな人のいろんな顔を知りたいって、思います」
「……そういうことなら、おれにも分かるかもしれねぇ」
いつもより、少しトーンを落とした声で呟かれて、わたしは思わず息を詰めて俯いた。
すると、わたしの顎はとらえられ、目を逸らすのは許さないとでも言うかのように強引に黒崎さんの方を向かせられた。
向かせられた先にあるのは、いつもとは違う、熱を帯びたオッドアイ。
「確かに、お前のいろんな顔を知りたいとは……思う……」
「黒崎さん……」
「お前は、さっきのDVDが見つからねぇって言ってたよな。もし、中古で見つけてももう買う必要はねぇからな」
「どうしてですか?」
「そんな映像で見なくても、プライベートなおれなんて、これからいっぱい見せてやるってことだ」
「あ……はい。ありがとうございます」
「だから、お前も見せろ。他の奴らは知らねぇ、おれだけに見せる顔を……」
まっすぐに見つめられてそんなことを言われて、わたしは頭の中が真っ白になってきた。
返事をする代わりに、必死に頷く。
吐息も触れ合いそうな距離だから、黒崎さんの瞳に、わたしの顔が映っているのが分かった。
赤いわたしと、灰色のわたし。
たぶん、今のわたしは、赤い方。
自分の顔が、熱に浮かされているのがそのほてりから分かる。
黒崎さんは、そんなわたしの顔を、目を逸らさずにじっと見つめてくる。
(ひょっとして、試されてる?)
黒崎さんの視線を受けて、わたしはそんなことを考えた。
出会ったばかりの頃は、この神秘的なオッドアイの放つ鋭い視線が怖くて、まともに目を合わせることも出来なかった。
自信の持てない自分、弱い自分を、すべて見透かされそうで……。
だから、黒崎さんに、人と話すときはきちんと目を見て話せと何度も叱られた。
いつからだったのだろう。
このオッドアイを、怖いと感じなくなったのは……。
怖さではなく、温かさを、この瞳は秘めていることに気づけたのは……。
それに気づけた今のわたしは、もう黒崎さんから目を逸らすことはない。
まっすぐに、見つめることができる。
見つめ合うとドキドキするけれど、それは怖さのせいじゃない。
「お前なぁ……」
しばらく見つめ合ったところで、なぜか黒崎さんが先に目を逸らした。
どうして?という思いを込めて、わたしは首を傾げる。
「こういうときは、目ぇ閉じるもんだろう」
「え、でも、きちんと目を見て話さないといけないって……」
わたしの答えに、黒崎さんは盛大にため息を吐いた。
「そうだった。お前は、こういうことに関してすげぇ鈍いんだった……」
「はい?」
「いいか。一度しか言わねぇから、耳の穴をかっぽじってよく聞け」
わたしが言われたとおりに耳の穴をほろうとしたら、本当にやらなくていいたとえだって止められた。
相変わらず、黒崎さんはわたしから目を逸らしたままだ。
そして、顔は真っ赤。
「お前にキスしたいから、目ぇ閉じろ」
「ええっと、キスですか……」
黒崎さんの言葉を、反芻する。
そうか、黒崎さんはキスをしたかったんだ……。
だから、わたしに目を閉じろと……。
ええっ!?
やっと頭の中で意味が通じて、わたしは少しパニックになった。
「あ、あ、あの……わたしにですか!?」
「決まってんだろう。つーか、一度しか言わねぇって言っただろうが!」
「はい。すみません……」
「いいから、目ぇ閉じろ」
「え、え……。はい!」
恋人同士がキスをする前のやり取りにはとても思えないけど、そんなことを考えている暇は無い。
わたしはひとつ深呼吸をして息を止めると、目をぎゅっと閉じた。
全身に余計な力が入っているのを感じるけれど、今のわたしではどうすることもできない。
黒崎さんは、歌に仕事に、とにかくストイックに取り組む人で……。
とにかく仕事のときは仕事だから、これまで二人でいても、そういった雰囲気になったことは無かった。
でも、こうして黒崎さんの家に招かれることになって、ひょっとしてとはさすがのわたしも思っていた。
けど、まさかこのタイミングでだなんて……。
ぎゅっと目を閉じたまま、わたしはキスの瞬間を待つ。
でも、なかなかその瞬間はやってこない。
ドキドキして、苦しい。
吸った息を吐き出さないように、目を開けないように、わたしは必死に口と瞼の両方を閉じる。
とにかくドキドキして、苦し……。
ううん、苦しいのは、ドキドキのせいだけじゃない。
息を止めてるせいだ。
黒崎さん、早くしてください!
このままでは、わたしは窒息してしまいそう……。
体が空気を求めて、プルプルと震え始めた。
「おい、息をしろ。息……」
黒崎さんの声に、わたしはむせそうになりながら息を吐いた。
「ぷはーーっ。ううう、く、苦しいです……」
わたしが肩で息をしていると、黒崎さんが吹き出した。
「お前なぁ、目を閉じろとは言ったが、息まで止めんなよ。フグみたいっつーか、顔が真っ赤でタコみたいっつーか」
どうやら、わたしはまた間違えてしまったらしい。
きっと、呆れられてしまった。
恥ずかしい……。
居たたまれない思いで、唇を噛んだ。
「おい、お前……。泣くなよ……」
黒崎さんにそう言われて、わたしは自分が泣いていることに気がついた。
でも、気がついたところで涙を止めることはできない。
「すみません……」
「謝んな」
「わたしは、こういった経験が全くなくて、やり方が分からなくて、それでうまく出来なくて……」
「そんなこと、知ってる……」
黒崎さんはそう言うと、わたしの体をぎゅっと抱きしめてきた。
わたしの顔は、黒崎さんの胸に押しつけられる形になる。
「おれこそ、悪かった……。どんな風に接したらお前の緊張が解けるのか、マジで分からなくて……。しかも、泣かせちまったし……」
「いいえ、大丈夫です」
ゆるゆると首を振ると、無理をするんじゃねぇよと呟いて、黒崎さんはわたしの髪のつむじのあたりに唇を押し当てた。
「正直に言うと、女に嫌気が差してから、まともに女と接するのはお前が初めてで……。おれもよく分かってねぇんだ」
「……え?」
黒崎さんが、女性問題でバンドの解散を何度も経験したせいで女嫌いになったということは、神宮寺さんから聞いて知っていた。
ここで改めて、本人の口から聞かされていることに驚いた。
黒崎さんは、過去は振り返らないって、いつも言ってるから。
「おれはでっかい財閥の嫡男で、昔から背が高くて目立つこともあってか、女にちやほやされてきた。それで、かなりいい気になった時期もあった。だが、親父が死んで財閥も潰れて、おれが億単位の借金を背負ったら、途端に手のひらを返したかのように女たちは逃げてった」
「はい……」
「で、バンドを組んで始めたら、そこそこ人気が出て……。また、女がおれに寄ってくるようになった。さらに売れるようになって、もっとたくさんの女たちが寄ってきた。でも、バンドを解散することになって、所属事務所も決まらねぇ宙ぶらりんな状態になったら、結局その女たちは逃げていった」
そこまで聞いたところで、わたしは黒崎さんの背中に腕を回した。
「金があるうちはちやほやしといて、無くなったら途端に逃げ出す。おれは、これまでに女の嫌なところをたくさん見せつけられてきた。だから、極力女には近づかなくなった。それなのに、おれの組むバンドのメンバーは、ことごとく女にうつつを抜かして、やれ脱退だ解散だと滅茶苦茶しやがる。おれは、ますます女が嫌になった。だから、女のお前と組めってシャイニングの親父に言われたときは、最悪な気分だった」
「ふふっ……。そうでしたね……」
「それが、いつの間にかこのざまだ。つーか、何もしなくても女が寄ってくる方だったから、おれは、どうすれば女が嬉しいのかとか喜ぶのかとか、考えて接したことがいっさい無かった。ましてや、恋人としてだなんてまったく分かんねぇ」
「はい……」
わたしは小さく返事をしながら、黒崎さんの背中を撫でた。
「さっきお前が言っていた、好きな人のいろんな顔を知りたいって気持ちはその通りだ。分かる。お前のことを、もっと知りたいって思っている。でも、お前にうっかり近づくといい匂いがするし、肩に触れば壊れるんじゃねぇかってくらい細いし、そのくせ、こうして抱きしめるとすげぇ柔らかい。ますます訳分かんねぇ……。女って、こんなんだったのか?」
吐き捨てるように、黒崎さんはそう言った。
わたしは落ち着かせるように、何度も彼の背中を撫でる。
「黒崎さん、大丈夫です……」
「春歌……」
自分の気持ちを素直に伝えてくれた黒崎さん。
相手のちょっとした反応でパニックになっていたのは、わたしだけじゃなくて黒崎さんも一緒だったんだ。
だから、わたしも素直な気持ちを伝えようと思った。
「さっきのは、恥ずかしかっただけで、嫌だった訳じゃないんです。ご存知のようですが、わたしは男の人とお付き合いするのは初めてで……。恋人としてどう接したら良いのか分からないのは、わたしも一緒です」
「……」
「だから、お互いのして欲しいことを、これから伝え合っていけば良いと思うんです。わ……わたしも出来る限り伝えるように努力するので、黒崎さんも……」
「ったく……。お前って奴は……」
黒崎さんが、くすりと笑う気配があった。
腕の拘束が緩められると、黒崎さんの指がわたしの顎にかけられ上向かせられる。
今度は、自然と目を閉じた。
ふわりと唇同士を掠めるようにして触れ合うと、離れていく。
わたしたちの、初めてのキス。
わたしは、ゆっくりと目を開ける。
「目を開けるんじゃねぇ」
「でも、もう……」
「まだ終わってねぇんだよ」
再び、黒崎さんの顔が近づいてきて、わたしは慌てて目を閉じた。
今度は、さっきよりもはっきりと感触が伝わるように、唇が重ねられる。
息が苦しくなりそうなところで少し唇が離れたかと思ったら、啄ばむようなキスが繰り返された。
キスをするたびに、軽いリップ音が響いて、むずむずするような感触が背中を這い上がってきて、思わず息を詰めてしまう。
「ふっ、あっ……」
さっきのように息を止めてはいないのに、やはり息が苦しいのは変わらなくて……。
キスの合間に、喘ぐような声が出てしまう。
「チッ……。エロい声を出すんじゃねぇよ。止まらなくなるだろうが」
黒崎さんは、舌打ちをしながらそう呟くと、今度はこれまでとは比べ物にならないくらい荒々しいキスを施してきた。
唇を割って、黒崎さんの熱い舌が入り込んできて、わたしの口腔内をかき回してくる。
どうしたらいいのか分からなくて、逃げを打つ舌が絡め取られ吸われると、体がびくびくと震えた。
キスを知ったばかりのわたしには刺激が強すぎるキスなのに、いっさい容赦ない。
唇が離れる頃には、わたしの体の力は抜けてしまい、黒崎さんにもたれるしかない状態になってしまった。
「すみません。何か、力が入らないです……」
「悪い。お前は初めてなのに、無理をさせすぎたな」
「キスって、なかなか難しいですよね。息の仕方とか、まだうまく出来なくて……」
息を整えながらわたしが言うと、黒崎さんはくつくつと笑ってわたしの背中を撫でてきた。
「おれのやり方を早く覚えろ。お前がちゃんと覚えて、もう難しいなんて感じなくなるまでしてやる」
いつものようにぶっきらぼうな口調だけど、どこかやさしい……。
初めて聞く声音。
他の誰も知らない、わたしだけが知る黒崎さん。
幸せに満ち足りた気持ちで、わたしはぎゅっとしがみついた。
でも、ひとつ気になることがあって、わたしは腕の力を緩め、黒崎さんの表情を伺った。
そして、とても近くに互いの顔がある状態で尋ねる。
「ひとつ聞いてもいいですか……?わたしが覚えちゃったら、黒崎さんはもうしてくれないんですか?」
わたしの問いに、黒崎さんは目を瞬かせる。
不意打ちだったのか、言葉に詰まったように喉をぐっと鳴らして顔を赤くした。
ひょっとしなくても、これは照れてるんだよね?
わたしよりもずっと大人の男の人なのに、何だかかわいいと思ってしまう。
「んなこと聞くな!」
「でも、気になります。わたしは、して欲しいです……」
「…………」
数十秒の沈黙の後、黒崎さんは口を開いた。
「してやるよ。お前はぼやっとしてっから、覚えてもすぐに忘れちまいそうだし……」
「ありがとうございます」
わたしがくすくすと笑うと、黒崎さんは悔しそうな表情を浮かべた。
「やっぱ余裕だな。お前がこの家に来てから、おれがどんだけ動揺させられてるのか、知ってるのか?」
「そ、そうだったんですか?全然分からなかったです」
「チッ……。決めた。今日できっちり、おれのやり方を覚えさせてやる」
「え?ちょっと待……っん!!!」
まだ息も整っていないのにと抗議しようとしたけれど、唇を再び塞がれてそれは叶わなかった。
わたしのすべてを食らい尽くすかのような、黒崎さんらしい激しいキス。
このやり方を覚えるのは、なかなか大変だと思う。
でも、このやり方は嫌じゃない。
むしろ、好き……。
わたしは、そのキスに答えるように、震える指先で黒崎さんの頬にそっと触れた。
わたしに、あなたのやり方をもっと教えて、刻み付けて欲しい。
いっさいの妥協を許さず、自分にも他人にも厳しいストイックさ。
ベースの演奏技術だけでなく、そのライブパフォーマンスにも定評のある、シャイニング事務所一押しのロック系アイドル、黒崎蘭丸。
その厳しさは、仕事だけでなく恋愛においても言えることのようで……。
でも、それを知っているのは、このわたしだけだ。
二人のファーストキスを書きたかったんです。でも、蘭ちゃんはなかなか手を出してくれないし、春ちゃんは天然デレ殺しだし……。肝心のキスシーンにたどり着けなくて、書きながら絶望しそうになりました。無駄に長いのは、そのせいです。蘭ちゃんは硬派が邪魔をして(?)、なかなか手を出せないタイプだと個人的に思います。本当はチューをしたいけど出来なくて、抑えていた分一度しちゃうとストップが効かないんじゃないかなと妄想して楽しむ日々です。私の中では、ピュアっ子蘭ちゃんなのですが、夢を見過ぎでしょうかねー……。