25時のpledge
真冬の深夜。
凍てつくような寒さの中を歩いているにも関わらず、わたしの体はとても熱かった。
原因は分かっている。
先ほどまで観ていた、黒崎蘭丸のカウントダウンライブの余韻だ。
それは、毎年恒例となっているライブなのだが、わたしが観に行くのは、今年が初めてだった。
これまでに、蘭丸さんのライブには何度か足を運んだことがある。
しかし、ライブをしながら年越しという特別なシチュエーションのせいか、今日の盛り上がりはいつも以上のものだった。
蘭丸さんの歌声に酔いしれたわたし自身の熱だけでなく、観客全員の熱が体を熱くして、まだまだ冷めそうにない。
普通の恋人同士のように、二人きりで一緒に年越しできないことを、さびしくないとは言い切れないけれど、アイドル黒崎蘭丸を愛するファンの方々と一緒に彼の歌に包まれた時間は、すごく特別で興奮するものだった。
空を見上げると輝く満天の星々が、会場を照らしていたサイリウムを思い出させて、わたしは思わず吐息を漏らしてしまう。
吐息が白い煙となって、空に吸い込まれていく。
ステージの上の蘭丸さんは、キラキラと輝いていて、本当に美しかった。
スターという言葉は、この人のためにあるんだって思った。
事務所関係者とは言ってもまだまだ駆け出し作曲家のわたしは、ライブ終了後、こっそりと会場を後にした。
蘭丸さんはきっとライブの打ち上げがあるだろうし、彼は売れっ子アイドル。
会って感動を伝えたい気持ちはあったけど、出来る限り目立つ行動は避けるべきだ。
わたしはライブの余韻に浸りながら、体の火照りを鎮めるためにゆっくりと歩いて、自宅のマンションへとたどり着く。
すると、マンションのエントランスに、立ったりしゃがみ込んだりして、落ち着きのない動きをしている背の高い男の人がいた。
その人は、黒ずくめの服でニット帽を目深に被り、夜だというのにサングラスまでしている。
見るからにやばそうな雰囲気で、体も大きいし、苛立っている様子も伝わってくる。
普通なら、お近づきになりたくないタイプの人だ。
でも、それが誰だかすぐに分かったわたしは、慌てて駆け寄った。
「蘭丸さん!」
「遅ぇ」
短く一言呟くと、蘭丸さんは舌打ちをした。
「ライブやってたおれよりも、お前のほうが帰りが遅いって、どういうことだ!心配するじゃねぇか!こういうときは、タクるもんだろうが」
サングラスをしていても、こちらを睨みつけていることが分かる。
わたしは、慌てて頭を下げた。
「す、すみません!ライブの余韻に浸っていたくて、のんびりと歩いてきたんです。今日は、いつも以上に素敵な熱いライブで、すごく興奮しました!」
「お前のことだから、そんなことだろうとは思っていた。本当に目が離せねぇヤツだな」
「蘭丸さんこそ、打ち上げがあるんじゃ……。ここにいて大丈夫なんですか?」
「明日も朝っぱらから、正月特番の生放送がある。今夜は打ち上げなんてしねぇよ」
「そうだったんですか……。それなら、連絡をすれば良かったですね。ごめんなさい」
わたしがもう一度謝ると、蘭丸さんは大きなため息をついて、サングラスを外した。
そのサングラスをジャケットの胸ポケットに入れると、わたしをじっと見つめてきた。
エントランスの薄明かりの中でも、蘭丸さんの綺麗なオッドアイが、わたしの姿を映していることが分かる。
ドキリと、心臓が一際高い鼓動を刻んだ。
止まってしまいそうだ。
「連絡しなかったのは、おれも一緒だ。悪かった。だが、一人でこんな時間にふらふら歩いて、危ねぇだろうが。お前は女なんだし」
「はい……」
「チッ……説教は後だ。それに、今日は説教をしにきた訳じゃねぇ」
そして、一呼吸おいて目をすっと細めると、蘭丸さんはぽつりと呟いた。
「明けましておめでとう」
新年の挨拶をされて、そういえば今年になって初めて蘭丸さんに会ったことに気が付いた。
先ほどまでのカウントダウンライブでも、蘭丸さんは、ファンに向けて挨拶をしてくれていたけれど、それとは違う。
これは、わたし個人へ向けての挨拶。
「あ、明けましておめでとうございます!!!すみません、先に言うべきだったのに」
恐縮して、思わずペコペコと頭を下げると、蘭丸さんは喉をくっと鳴らして笑った。
「そんなにかしこまることはねぇよ」
そう言いながら蘭丸さんは、身につけていた革製の手袋を外し、わたしの方に手を差し伸べてきた。
「あの……?」
ちょっとごつごつした長い指の男らしい大きな手が、わたしに向かって差し出されている。
何事か理解できずにぼんやりとしていると、蘭丸さんは焦れた様子で、軽く舌打ちをすると言った。
「お前も手ぇ出せ」
「え!はい」
わたしがおずおずと手を出すと、そのままがっしりと握られた。
「今年もよろしく」
蘭丸さんは今度はそう呟くと、さらに強い力でわたしの手を握る。
それは、約束に対する強い思いを表すかのような、固い握手。
「こちらこそ、今年もよろしくお願いします」
手を握られて、迷いのない瞳で見つめられる。
それだけで、わたしの鼓動は高鳴る。
とにかくこの状況から解放されたいような、まだもうしばらくこのままでいたいような。
そんな矛盾する感情が、わたしの中を行ったり来たりする。
「あたりめぇだ。よろしくされなくても、お前のことはよろしくしてやんよ。危なっかしくて……放っておけねぇし」
「その……ふつつかものですが、今年も呆れずにおつき合いいただ……」
そこで、わたしの言葉は途切れた。
蘭丸さんの唇が、わたしの唇に重なったから。
しかし、蘭丸さんの唇は、軽く触れただけですぐに離れていった。
「アイドルとしての新年の挨拶は、ライブで済ませてきた。けど、おれ個人としての挨拶は、真っ先にお前にしたかった」
「蘭丸さん……」
キスの後の屈んだ姿勢でわたしに目線を合わせ、真摯な瞳でそう告げられて……。
すごく幸せ。
「よし。部屋に入るぞ。ここだと、寒くてかなわねぇ」
蘭丸さんは、そのままわたしの手を引くと、エントランスの扉をくぐった。
「あの……もし次にこういうことがあったら、合い鍵を使って、部屋の中で待っていてください。風邪を引いてしまってはいけないですし」
「新年の挨拶を、真っ先にお前にしたかったって言っただろうが」
「あ……」
「それに、お前がなかなか帰ってこねぇし。探しに出るか、このまま待つか迷っていた。肝心の携帯も繋がらねぇし」
そういえば、わたしが到着したときの蘭丸さんは、どこか落ち着きがなかった。
連絡手段である携帯は、ライブの前に電源を切ったままだった。
「本当にごめんなさい!」
「まあいい。説教は部屋に入ってからだ」
「え?やっぱり、お説教があるんですか?」
「あたりめぇだ。きっちり理解するまで、教えてやるよ。今年最初の……いわゆる初説教ってやつだな」
「うぅ……」
わたしとしてはあまり歓迎できないことを、蘭丸さんはどこか楽しそうな口調で言う。
とりあえず部屋に入ると、わたしはリビングに案内して、蘭丸さんにソファに座ってもらった。
「温かい飲み物を用意しますね。それとも、お風呂がいいですか?」
「こっちに来い」
「え?」
「きっちり理解するまで、説教するって言っただろうが」
「そ、そうでした。でも、冷えたままでは風邪をひいてしまうといけませんし……」
おろおろするわたしの腕を掴むと、蘭丸さんは引き寄せてきた。
そのまま、彼の膝の上に乗せられてしまう。
「お前が、あたためろよ」
わたしの頬に蘭丸さんの指先が触れ、手のひらでくるまれた。
「年末年始は繁忙期。体力勝負だし、少しでも時間が出来たなら休むのが普通なのにな。以前のおれなら、そうしていた。でも、その時間で今日はお前に会いたいと思った。このおれが、誰かと一緒に過ごしたいと思うなんてな……」
「蘭丸さん……」
「ったく、こんな年越しは初めてだ」
頬に触れている蘭丸さんの手に、わたしは自分の手を重ねる。
「来年のライブの後も、こうして挨拶をしましょう。来年だけじゃなくて、再来年も、その次の年も……」
「そうだな。毎年の恒例にすれば、おまえもライブの後にフラフラしねぇだろうしな」
「う……」
「まあ、年越しに限らず、おまえは夜にフラフラするんじゃねぇよ」
「はい」
「よし、説教は終わりだ」
「はい!」
笑顔で頷いたわたしに蘭丸さんはふっと微笑むと、軽く触れあうだけのキスをしてきた。
ひんやりとした、彼の唇。
「お前、あったけぇな」
「たぶん、蘭丸さんの歌を聴いていたからです。もうすごく興奮するライブで、体が暖まって熱いくらいで……」
「お前、ライブが終わってから、それなりに時間経ってるだろうが」
「でも、まだ冷めていません!」
「そうか」
すると、蘭丸さんは意地の悪い笑みを浮かべた。
セーターの裾から、するりと彼の手が滑り込んできて、わたしの素肌に触れてきた。
「ひゃっ!!!!冷たい!!!蘭丸さん、冷たいです!!!」
彼の手から逃れようとじたばたしたけれど、それも叶わず、そのままソファにもつれ合うように倒れてしまった。
「本当だな。お前の体、熱いくらいだ。やっぱ、お前にあっためてもらうのが一番だな」
「うぅぅ……。蘭丸さんの手、冷たいです!!」
あまりの冷たさに、わたしはふるりと体を震わす。
わたしの上に覆いかぶさったまま、蘭丸さんは、わたしの首筋に唇を寄せてきた。
ひやりとした鼻先と、唇の感触がくすぐったい。
「蘭丸さん……」
「あったけぇな、春歌……」
ほっと息を吐きながら、穏やかな声音でそう言われて、拒むことなんて出来るはずがない。
蘭丸さんが冷えている原因は、わたしのことを外で待っていたせいなのだから。
せめてわたしの体温で、冷えてる彼の体を少しでも温めたくて、蘭丸さんの背中に腕を回してそっと抱きしめた。
そのまま、しばらくソファの上で抱き合った。
「新年の挨拶も済ませたし、このまま今年最初のも済ませるか」
わたしの首筋に顔を埋めたまま、蘭丸さんがふいにぽつりと呟く。
その言葉に、わたしはドキリとした。
済ませるって、まさか……。
「え、あのそれって……」
「何するのか、言わせてぇのか?このまま二人ですることなんて、決まってるだろうが」
思った通りの展開で、わたしは慌てた。
「あ、あの!朝から収録があるとおっしゃっていましたし、今からでは……」
「そんなの関係ねぇよ。体力ならある。それとも嫌なのか?」
蘭丸さんの言葉に、わたしはふるふると首を振った。
「嫌なわけないです……。それよりも、わたしはさっきのライブで興奮して汗をかいたので、におうかもしれなくて……。せめて、先にお風呂に……」
わたしがそう言うと、蘭丸さんは顔を上げた。
「そんなことを気にしてんのかよ。かまわねぇよ」
「うぅ……。そんなことじゃありません。わたしは、かまいます」
反論するわたしに、蘭丸さんは乱暴に唇を重ねてきた。
舌先でわたしの唇を割って、口内に彼の舌が侵入してくる。
唇はまだひんやりしているのに、彼の舌は、すごく熱い。
キスの合間に、蘭丸さんは囁く。
「おれの歌を聴いて、興奮してかいたお前の汗ならかまわねぇ。むしろ、流すな」
「ふっ……あ、あの……」
「お前がどれだけ興奮したのか、おれに教えろ」
蘭丸さんは、またわたしの首筋に顔を埋めると、今度はくんくんとにおいを嗅いできた。
「いつもより、甘い匂いが濃いな……」
「そうですか?」
「そんなに、おれの歌に興奮したのか?」
「はい……素敵でした……」
恥ずかしいけれど、本当のことだからわたしは素直に認めた。
蘭丸さんは、顔を上げるとわたしの顔を見つめてきた。
熱を帯びた、真摯なオッドアイが、微かに揺れる。
「さっきも約束したけどな。お前……今年の年末もおれのライブに来い。そして、ライブの後は、二人きりの打ち上げだ」
「はい」
「次の年もだ」
「はい」
「その次の次の年もだ」
「もちろんです」
迷いなくわたしが答えると、蘭丸さんは自嘲の笑みを浮かべた。
「おれとしたことが……。はっきりしていない未来の約束をするなんて、柄じゃねぇことしてるな……」
「ふふっ。はっきりしていないからこそ、約束するんですよ」
わたしの答えに、蘭丸さんは一度目を見開くと、すぐにすっと細めた。
「ハッ……違いねぇ」
そう呟くと、もう一度キス。
ひんやりしていたはずの蘭丸さんの唇は、もうとても温かかった。
ただいまの時刻は、もうすぐ26時になろうとする25時台。
来年もその次の年も、この時間は、二人でこうしていたい。
握手をする蘭春を書きたくて、考えたお話だったりします。