さらさらと緩やかに落ちていくゆきの砂時計。
対して、天海の砂時計は砂が落ちない。
……違う。
正確には落ちているのだけれど、ゆきの感じる時間では落ちているように見えないのだ。
それは、人の世の理とは違うところで彼が生きていることを象徴すると同時に、この先の未来、二人を分かつ原因になることを象徴するもの。
今でも、ゆきの目にはっきりと焼きついている。
――どうか、私を呼んで。何度でも、何度でも。
永遠の光
神子としての役目を終えてから、ゆきは夢にうなされるようになった。
果ての無い暗闇を、彷徨い続ける夢。
すべてを飲み込んでしまいそうな、暗闇の中……時空の狭間を。
天海を探し求めた記憶が見せる夢なのだろう。
しかし、その夢の中では天海に会うことはいつだって叶わない。
永遠に、暗闇の中を彷徨い続けるのだ。
そして、ようやく夢から醒めることができても、目に入ってくるのは現実にある夜の暗闇。
怖い……。
夢から醒めてもなお、ゆきは暗闇に怯えていた。
しかし今は、怯えたまま夜を明かすことはなくなった。
暗闇の中でも、ゆきを抱き締めてくれるぬくもりがあるからだ。
眠るときも、天海はゆきを離さないでいてくれる。
その事実が、ゆきをこれ以上ないほどに安心させて、再び穏やかな眠りを与えてくれるのだ。
天海に抱かれていることを実感すれば、もう怖い夢は見ない。
「ゆき、悪い夢でも見たのですか?」
真夜中にゆきが目覚めると、天海は必ずそう尋ねてくる。
起こさないようにと気をつけてのかすかな動きにも反応することに、最初は驚きを覚えた。
しかし、天海には睡眠は必要でないのかもしれないと、よくよく考えて気が付いた。
天海は、ゆきと同じように食事を摂るし、夜になればベッドに入って眠る。
人と変わらぬ日常を営んでいる彼だけど、本来は神なのだ。
食欲や睡眠欲といったものは、実は天海には無いのかもしれない。
だから、ゆきと一緒にベッドに入ったとしても、眠っていないのではと思う。
そんな天海だけど、ゆきに触れることに関しては貪欲だ。
呪縛されていた250年……いや、それ以前の数え切れないほどの歳月を、時空の狭間でただひとり過ごしていた天海。
初めて出会った他者がゆきであり、初めて触れた他者もゆきである。
そのせいもあるのだろうか。
こうして人の世で共に過ごせるようになってすぐに、天海はゆきに”触れる”という行為を一途に求めてきた。
ゆきの髪、頬、唇、手……。
それらだけでは到底満足できず、ゆきのすべてに天海が触れるまでに、そんなに長い時間は掛からなかった。
そして、ゆきのすべてに触れたことをきっかけにして、夜毎、天海はゆきの部屋に現れるようになった。
天海の力をもってすれば、ゆきの部屋に忍び込むことなど容易なことだった。
蓮水家は大きな邸とはいえ、父母と一緒に住んでいるので、内緒で天海とベッドを共にすることに最初は後ろめたさがあった。
だが、夢にうなされ暗闇を恐れるようになった今、ひとりで眠ることなどもうできない。
目覚めるたびに、ゆきは自問自答する。
怖いのは、暗闇……?
自分が、このまま暗闇に飲み込まれてしまいそうだから……?
違う……。
怖いのは、あの暗闇で永劫の時をひとりで過ごす天海を思ってしまうから。
自分だったら、きっと耐えられない。
すべてが飲み込まれていく暗闇。
いつまでも落ちない天海の砂時計。
すべてが、フラッシュバックする。
ゆきは、結局天海をひとりにしてしまう。
もう彼をひとりにしないと、決めたのに……。
天海を、ひとりにしたくない。
だのに、解決する方法なんて、ゆきがいくら考えたところで無かった。
自分は、何て無力なんだろう。
神である天海とは違い、人の子であるゆきには寿命がある。
人の平均寿命を思えば、ゆきの寿命が尽きるのは何十年か先のことだろう。
しかし、人の命の長さなど一概に計れぬものだから、明日にでも……ということもあるかもしれない。
もしそうなったら、また天海はひとりになってしまう。
「ゆき?」
気遣わしげな天海の声に、ゆきははっとした。
できるだけ、声の震えを抑えて呟く。
「大丈夫。天海が、こうしていてくれるから……」
ゆきの背中を、天海はやさしく撫でてきた。
「君の心の臓の鼓動が、いつもより速い……。それに、震えて……。夜毎このような有様では、やはり君をひとりにしておけないですね」
「ごめんなさい……」
「君が、謝ることではありません。私は自ら望んでこうしているのですから」
天海に抱き締められ、その穏やかな声を聞いているうちに、ゆきの鼓動は徐々に落ち着いてきた。
「ねえ、天海……」
「はい」
「夢を、見るの……」
「やはりそうですか……。どのような?」
「暗闇の中を彷徨っていて……。天海を必死に探しているのに、どこにも天海はいないの……」
「それは、ただの悪い夢ですよ。私は、こうして君のそばにいる」
「うん……」
ゆきは甘えるように、天海の胸に頬を寄せた。
「天海、お願い……」
「何ですか?」
「もっと、強く抱き締めて欲しいの……」
「仕方のない子……。分かりました」
そう返事をしたものの、天海は、ただやさしくゆきの身体を抱き寄せるに留めた。
しかし、それだけでも十分に天海の鼓動をゆきは感じる。
規則正しく刻まれる鼓動は、ゆきとまったく変わらない。
それだけじゃない。
ゆきに触れるとき徐々に上がってくる体温、甘い言葉とともに零れる熱い吐息。
それらもすべて、人であるゆきと変わらないのに……。
なんとも言えない気持ちになってきて、ゆきは天海に自らぎゅっと抱きついた。
「もっと、痛いくらいでいいのに……」
「困った子ですね」
「……だめ?」
「こうして君に触れられ、温もりを感じられるようになった今、あまり痛い思いはさせたくないのですよ」
「……でも、初めてのときは痛かったもの……」
恨みがましげに言うゆきの口調が可愛らしくて、天海は思わずくすりと笑った。
「ですから、君に”あまり”痛い思いをさせたくないのです。痛みに耐え、私を受け入れてくれた君はとても愛らしかったのですが、やはり良い思いをさせてやりたいのが男の性(さが)です。そちらの君のほうが、より愛らしいですからね」
「天海にそう言われると、すごく恥ずかしいよ」
天海は、ゆきの背中を撫でる動作を続ける。
「君は、小さく、か弱くて……。力加減を誤れば、容易く壊れてしまいそうですから……」
――か弱い。
その言葉に、ゆきは苦しくなってきた。
「か弱い……。そうだよね。人は、弱い。人は弱くて、その肉体は100年も持たないもの……」
「ゆき……」
「ねえ、天海。人の一生なんて、天海の生きている時間から見れば、一瞬のことなんだよね?私が天海と一緒にいられる時間は……」
その言葉を聞いた途端、ゆきの背中を撫でる天海の手の動きが止まった。
「人って、死んだらどうなるのかな……?」
「……君が悪夢にうなされる原因は、それですか?」
「だって私は、また天海をひとりにしてしまう……。ひとりにしないって言ったのに……」
こんなことを伝えたところで、天海を困らせてしまうだけ。
そう分かっているのに、一度堰を切って零れ始めた言葉は、留まることを知らない。
「この世界で出会えたとき、永劫の時を時空の狭間で過ごすのだとしても、ひとときを私と過ごせるのならばいいって天海は言ってくれた。でも、そんなの悲しい……。私はいや……」
「……」
「いろいろ考えてみたの。天海は神様だから、異世界では死んじゃった人も陽炎として生き返らせてた。ずっと一緒にいるには、私が死んじゃってもそうしてもらえればいいのかなとか……」
「ゆき……」
「でもね、それは違うみたい……。陽炎として生き返っても、それはもう私じゃないもの。その現実は、あっちの世界で見てきたから……」
そこまで話したところで、天海は半身を起こし、ゆきの顔を覗き込んできた。
そして、ベッドサイドにあるスタンドの灯りを付ける。
うっすらとした灯りで部屋が満たされ、天海の顔がはっきりと見えた。
普段、あまり感情を表に出さない天海だけれど、今は違う。
その事実が、ゆきの心を切ない気持ちで満たしていく。
天海からは、ゆきがどんな顔をしているのか、同じようにはっきりと見えているだろう。
天海の指先が、ゆきの頬に触れる。
そうされることで、ゆきは自分が泣いてしまっていることにようやく気が付いた。
「神とは名ばかり。私は君に対して、何もできないことを歯がゆく思います。こうして涙を拭うことしかできない。どうすれば、その涙を止めることができるのでしょう……」
「そんな悲しそうな顔をしないで……。私、天海にもっと強く抱き締めて欲しい。それだけなの……」
「ゆき……」
今度はゆきの願いどおり、天海はきつく抱き締めてきた。
痛いくらいの力で。
「人の肉体は、100年も持たない。でも、魂だけになっても私は天海と一緒にいたいの。生まれ変わって別の人になってしまっても私は、天海と一緒にいたいの……」
「……」
「きっと見つけてみせるから……。だから、私が忘れてしまわないように、今の私に天海をたくさん刻みつけておいて……。そして、私が忘れてしまっていたら、何度でも呼んで……。きっと思い出してみせるから」
「ゆき、私の神子……」
そう呟くと、天海はゆきに口付けてきた。
唇、頬、首筋、鎖骨のあたり……。
そしてパジャマのボタンを外し、徐々に胸元へ……。
痛みを伴うくらいの激しい口付けだったけれど、それはとても心地のよい痛み。
口付けを受けながら、ゆきは何度も天海の名を呼んだ。
何度でも、何度でも。
◆
傍らで眠るゆきの顔を、天海は見つめていた。
彼女に促されるまま、激情にまかせて抱いてしまった実感はある。
ゆきが疲れ果て、そのまま眠りに落ちてしまうくらいに激しく。
こうして彼女と過ごすうちに、感情の制御が効かなくなってきている自分に天海は気づいていた。
突如襲ってくる感情の荒波に、抗うことができない。
呪縛されて過ごした250年の間に、天海はそんな人の子たちをたくさん見てきた。
そして、そんな彼らを滑稽で哀れな存在に感じていた。
まさか神である自分が、そうなってしまうとは……。
ゆきの頬にそっと手を伸ばすと、眠ったままであるのに彼女は微笑んだ。
穏やかな寝顔から、もう夢にうなされている様子は感じられないのにほっとする。
「人は、弱い……。本当に、そうでしょうか……」
答えは返ってこないと分かっていたが、天海はゆきの頬を撫でながら呟いた。
彼女の言うとおり人が弱いと言うのならば、神である自分はどうなのか……。
悠久の時を生き、人とは違い肉体が滅びることは無いのだから、強いのかもしれない。
しかし……。
夜毎ゆきの部屋へ通うのは、夢にうなされる彼女をひとりにしておけないからと理由を付けていた。
ひとりにしておけない?
違う。
天海自身が、もうひとりになれないのだ。
ゆきと出会って、天海は孤独を知った。
それは、時空の狭間でひとりいたときには知り得なかったもの。
ひとりではなく、ふたりになったからこそ……。
孤独を知ることで、天海は弱くなった。
いつだって、ゆきの温もりを感じていたい。
そして、その温もりが失われることを何よりも恐れている。
「君は、強いですよ……。私の神子。私の光……」
魂だけになっても、生まれ変わっても天海のそばにいてみせると言える強さ。
それは、”死”という概念の無い天海では、持ち得ることのできない強さ。
眠るゆきの身体には、天海によって施された口付けの跡が無数に赤く残っている。
それら、ひとつひとつを見つめながら天海は目を細めた。
天海が唯一愛する人の子、ゆき。
彼女の身体に刻みつけた跡は、時とともに……肉体とともに消えてしまう。
だから、その身体だけでなく、魂にも天海を刻みつけよう。
何度でも、何度でも。
それがゆきの望みであり、天海の望みでもあるのだから。
そんな狂おしい想いを抱えながら、天海は眠るゆきの唇にそっと唇を重ねた。
彼女のすべては、永遠に天海のもの。
たとえ、魂だけになったとしても。
EDを見て、天海はやはり最後まで神様のままなんだなっていうのが、私の解釈です。
考えただけで切ないよー。
救いがないと言えばそれまでだけど、これが私の考えられる精一杯。