注:忍人ED→大団円EDと、変則的な流れのお話です。忍人EDの描写が途中にあります。

橿原宮の中にも、桜の花はある。

桜 舞う

新王の即位式を明日に控え、橿原宮は慌しい空気に包まれていた。
その当事者である千尋は多忙を極めていて、列席者の確認、衣装合わせ、式典の手順……打ち合わせていくうちに、一日があっという間に過ぎていく。
だが、それも今日までだ。
もう明日ということもあり、めまぐるしい準備もようやく決着がついた。
あとは、当日を迎えるのみだ。
疲れてはいるものの、妙な高揚感に体を支配されている。
千尋は歩みを止めると、目を閉じ、深呼吸を一度した。

「あれは……」

ふと庭を見て、目に入ってきた人の姿に思わず呟いた。
忍人が、いた。
だが、千尋がすぐそこの回廊に来たことに、彼は気がついていない。
橿原宮の庭に植えられた大木をただ、ぼんやりと見上げている。
禍日神との戦いを終えた後、彼は体調がすぐれず、臥せっていることが多い。
破魂刀を封じたとはいえ、これまで数え切れぬほど使ってきたことにより、忍人の身体はもう限界を迎えていたのだ。
そして、彼の身体のことを千尋は誰よりも案じており、少しでも休むように伝えており、見舞うことを欠かさずにいた。
しかし、即位式も近づいてきたため、この3日ほど見舞うことができずにおり、ふとした瞬間に彼のことを思い出しては、大丈夫だろうかとため息をつくことを繰り返していた。
一日の仕事を終える頃には陽が傾いていて、今から会いに行っては、忍人の身体が休まらないだろうと我慢をする日々だった。
恋しく思っていたその彼が、そこにいる。
それなのに、千尋はすぐに声をかけることができない。
ただ、木を見上げている忍人の姿は、誰もが慌しくしている宮の中では、どこか別の世界から切り取られた風景のように見える。
歩み寄れば数歩の距離にいるのに、途方もなく遠くに彼がいるように感じられた。
近づけば、幻の如く消えてしまうかのように……。
そんなことを考えた自分を否定するかのように、千尋は、唇を引き結んで首を振った。

「忍人さん」

千尋はようやく彼の人の名前を呼んで、歩み寄った。
振り返った忍人の瞳が自分の姿を映しているのを感じ、千尋はほっとした気持ちだった。
幻ではない、彼はここにいる。

「千尋か」
「はい」
「もう、明日の準備は終わったのか」
「はい。狭井君をはじめ、宮中の皆さんのおかげで」
「そうか……。狭井君だけでなく、皆、君が王になる日を心待ちにしていたからな」

ふっと笑った忍人を、千尋はじっと見つめた。

「どうしたんだ?」
「忍人さん、身体は大丈夫なんですか?」
「ああ。あまり寝てばかりいても、身体が鈍ってしまうからな」

心配を掛けまいとしてそうは言うものの、忍人の顔色はどことなく白い。
虎狼将軍と畏怖され、狗奴を率いていた頃と比べると、彼の衰弱は明らかだ。
破魂刀が、彼の生命を削ったのだ。
やるせない気持ちになってきて、千尋はこぶしをぎゅっと握り締めた。

「あまり、無理をしないでください」

千尋の言葉に、忍人は苦笑する。

「すっかり立場が、逆転してしまったな……」
「え?」
「以前は、無謀な判断をする君を案じ、諌めていたのは俺だったのに」
「そうですよ。私に言われているようじゃ、だめですよ」

千尋は笑顔で、忍人を軽くなじるように言った。
しかし無理に笑顔を作ったものの、これ以上忍人を見つめていると涙が出てしまいそうで、千尋は先ほどまで忍人が眺めていた大木に目をやった。

「桜……?」

まだ花こそつけてはいないが、その木は桜だった。
無数についたつぼみは膨らんでおり、もう今日明日にでも花が開きそうな様子だ。

「ああ。もうすぐ咲きそうだと思って、眺めていた」
「忍人さんは、桜が好きなんですか?」

千尋の問いに、忍人は目を細めた。

「そうだな……。どちらかと言えば、好きだ……」
「私も、好きです。桜が咲くと、春が来たなって感じがして」

しばらく二人で、まだ咲いていない桜を眺めていた。
すると、ぽつりと忍人が呟いた。

「ふとした瞬間に季節の移り変わりを教えてくれるのが、こういった木々たちだった……。戦場に出て、戦いの中に身を置いていると忘れがちになってしまうけれど」

忍人の言葉に、千尋は彼の方を向いた。
桜の木を見上げたまま、忍人は続ける。

「その中でも春を告げる桜が、俺は特別に好きだ」

中つ国滅亡後、常に戦いの中に身を置いてきた彼の生き様が伺える言葉だった。
千尋は、忍人の横顔を見つめる。

「桜が散るときは、やるせない気持ちになるな。散るというのに、美しいと感じてしまうのだから」

その言葉を聞くと同時に、千尋は無意識のうちに忍人の手を掴んでいた。
今にも、忍人が消えてしまいそうで……。
そこに本当に忍人がいるのか、確かめずにいられなかった。

「千尋?」

急に手を握られ、面食らった様子で、忍人が千尋の方を向いた。
千尋は、忍人の手をぎゅっと握る。

「こうしないと……いけない気がしたんです」

今にも泣きそうな声が出てしまい、千尋はいけないと思ったが、だめだった。

「いいえ。私が、こうしたかったんです」

そこまで言ったところで、じわりと涙が滲んできた。
千尋の予期せぬ涙に、忍人はどうしたものかと動揺しているようだ。
身体の調子が悪い彼に、心配をかけるようなことをしてしまった……。
しかし、滲んでくる涙を止めることができない。

「ごめんなさい。大丈夫です」

千尋は慌てて手を放すと、滲んだ涙をごしごしとこすった。

「千尋……」

すると忍人は、千尋の目をこする手をとらえた。

「泣くな」

かすれた声でそう言うと、忍人は千尋をそっと抱き締めてきた。
遠慮がちに千尋の背中に手が回される。
やさしいやさしい抱擁。
胸に頬を寄せると、彼の鼓動が微かに聞こえた。
確かに彼は、生きている。
その鼓動に耳を澄ませながら、千尋は目を閉じた。

「千尋、泣くな……」

千尋を抱き締めたまま、忍人はただ、そう繰り返した。
あやすように、そっと髪が撫でられる。
巧みな言葉はないものの、彼の不器用なやさしさが感じられる抱擁に包まれ、千尋は幸せだった。
そう……幸せだった。



盛大に行われた即位式は、無事に終わった。
失敗しないかと前夜は心配でなかなか眠ることができなかったが、なんとかやり遂げることができた。
狭井君からも、ご立派でしたと褒められ千尋は嬉しかった。
心が踊るのは、式典の重圧から解放されたせいだけではない。
式が終わった後に、忍人と桜の花を見に行く約束をしているからだ。
昨日はまだつぼみだった桜が、今朝、花開いた。
忍人と二人で花見……それが千尋にとって、式典を無事に終えた後のご褒美のようで、とにかく楽しみだった。

回廊を歩いていくと、ある一角に人垣ができていた。
人々の表情から察するに、ただ事ではない様子。
何事かと眉を顰めて近づいていくと、官人の一人に足止めされた。

「陛下、これより先は……」
「いったい、何があったのですか?」

この先へ行かせまい……いや、この先の様子を見せまいとするかのように立ちはだかる官人に、不信感が募る。
しかし千尋の視界を阻むことはできても、人垣の中から漏れ聞こえてくる声を阻むことはできなかった。

「この者たちは、常世の……」
「叛徒の侵入を許したのは、警固の落ち度……」
「しかし、これだけの者たちを葛城将軍お一人で……?」

聞こえてきた名前に、千尋ははっとした。

「通しなさい」
「いえ……」
「命令です。通しなさい」

千尋がきっぱりとそう言い切ると、官人は渋々と道を開けた。
王の命令には、逆らえない。
千尋は、人垣のところへと歩み寄っていく。

「陛下!」
「陛下!」

他の官人、采女たちが制する声を聞き流しながら、千尋は近づいていく。
風がさあっと吹いて、庭に咲く桜の花びらがふわっと舞ってきた。
風は、桜の花びらだけでなく、血の匂いも運んできた。
胸が、ざわざわとする。

「どきなさい」

最後の砦のように立っていた官人たちに、千尋は言った。
躊躇しながらもよける官人たちの後ろには……。
夥しい紅……。
それが血だと分かるのに、時間は掛からなかった。
その血の中で、屈強な男たちが斬られ、息絶えていた。
壮絶な戦いの跡が、見て取れる。
着ている衣服から察するに、常世の者たちだ。
そして、その一番奥……。
血の中に転がる、金色の双剣。
見間違えるはずがない、忍人のもの……。
もう、荒ぶる破魂刀ではなく、生太刀となっているはずのもの。
だのに、生太刀のその名にそぐわず、今は血に塗れている。
生太刀の先には……。
目に入ってきた信じられない光景に、どくんと心臓が大きく跳ね上がる。
そこから震えが全身に広がっていく気配に、千尋は思わず胸を押さえた。
心臓がひやりとした手できつく掴まれているかのように、胸が痛い。

「あ……あ……」

ここは王として、この始末をどのようにすればよいのか、指示を出すべきところだ。
しかし、千尋の唇からは、何一つ形になった言葉が出てこない。
戦慄く唇からはただ、搾り取られるようなか細い声しか……。

血の海の……その先で、忍人が事切れていた。
たくさんの刀傷を身に受けて。
途端、千尋の瞳に映る景色が灰色に変わった。
血の鮮やかな色も、千尋の瞳にはもう映らない。

「あ……あぁ……」

千尋はふらふらと忍人の元に、歩み寄る。
走りたいのに、足が思うように動かない。
そして、忍人の側に跪くと、そっと彼の頬に触れた。
まだ微かではあるが、ぬくもりが残っている。
しかし、忍人の瞳は千尋の姿を映すために開かれることはなく、固く閉じられたままだ。
千尋は、震える手で忍人の身体を起こした。
将の中でも、恵まれた体格ではないものの、千尋よりひと回りは大きな身体だ。
それなのに、やけに軽い。

「あぁ……ああ!!」

王として命令を下すことも、千尋として忍人の名を呼ぶこともできずに、ただ、悲鳴に近い声を上げて千尋は叫んだ。
叫びながらも、軽く感じられる忍人の身体を、きつく抱き締めた。
忍人の身体からまだ流れているぬるい血が、千尋の服に染み込んでいく。
今日の……晴れの日である即位式のため、特別に誂えられた王としての衣装に。
高価な布で作られた赤い裳裾が、さらに紅く染まった。
けれども、色を映さなくなった千尋の瞳には、そんなことはどうでもよいことだった。
ただ、ただ、忍人をきつく抱き締める。
しかしそうすることによって、昨日泣きそうになった千尋をそっと抱き締めてくれた腕が、遠慮がちに髪を撫でてくれた指先が冷たくなってくるのを、まざまざと感じる結果になった。
千尋の瞳から溢れた涙が頬を伝い、ぽたりと忍人の頬に落ちた。




忍人はもう、千尋を抱き締めてくれない。




いくら、泣いたとしても。

あまりに残酷な現実に、千尋の心は……軋んで、砕けた。






即位式の日に咲き始めた桜の花も、もう終わりのようだ。
微かな風が吹くだけで、桜の花びらがひらひらと橿原宮の回廊を舞う。

「あれは……」

王としての一日の職務を終え、私室へと帰る途中にふと庭を見て、目に入ってきた人の姿に思わず呟いた。
忍人が、いた。
舞い散る桜を、忍人はただ眺めていた。

二人きりで花見に出かけたのは、つい数日前のこと。
そこで、互いの想いを確かめ合った。
しかしその次の日から、千尋も忍人も職務に追われ、会えない日が続いていた。
会えずにいた数日は、慌しく過ごす合間に、彼は今どうしているだろうとふと思い出しては恋しく感じることの繰り返しだった。
その彼が、そこにいる。

「千尋か」

微かな呟き声だったのに、忍人は千尋の存在に気がついて振り返った。
声をかける前に気づいてもらえたことが嬉しくて、千尋は微笑みながら駆け寄った。

「桜を見ていたんですか?」
「ああ」

忍人の隣に並び立つと、千尋は一緒に桜の木を見上げた。
桜の花びらが、シャワーのように降ってくる。

「忍人さんは、桜が好きなんですね」
「そうだな……」

千尋の言葉に、忍人は桜を眺めたまま答える。

「桜は好きだな。散るときも、美しいと感じる……」

その言葉を聞くと同時に、千尋の心臓がどくんと脈打った。
なぜだかは、分からない。
とても、苦しい……。
そして、どうしようもないやるせなさと痛み……。
正体の分からない苦しさに支配されつつ、千尋は忍人の手を無意識のうちに掴んでいた。

「千尋?」

急に手を握られ、面食らった様子で、忍人が千尋の方を向いた。

「どうした?」

やさしく問いかけられて、千尋は忍人の手を、さらにぎゅっと握った。
忍人の手のあたたかさを感じて、胸の苦しさが少しだけやわらいだ。

「こうしたくて……」

気恥ずかしさを感じて俯いたものの、握った手を放すのがとても名残惜しい。

「おかしいですよね」

子どもじみている。
そう自覚してようやく手を放そうとしたが、忍人が千尋の手を握り返してきて、そうすることができなくなった。

「おかしくない」
「忍人さん……」

やさしい声に、千尋は俯いていた顔を上げた。
すると、忍人は握った手をそっと引っ張って、千尋を抱き寄せた。
遠慮がちに千尋の背中に手が回される。

「忍人さん!?」

突然の抱擁に、今度は千尋が動揺する番だった。
あやすように、そっと髪が撫でられる。

「すまない……」

そう言いながらも、忍人は千尋を抱き締める力を、わずかに強めた。

「こうしないと……いけない気がした」

抱き締められ、髪に忍人の唇が触れた。
あたたかい吐息を感じながら、千尋は、忍人の胸に頬を寄せる。
少し速く感じられる心臓の鼓動が、確かに聞こえる。

「いや……俺が、こうしたかった」

その言葉を聞きながら、千尋は目をそっと閉じた。

「俺の方が、おかしいな……」

忍人は苦笑しつつ腕を解き、千尋を解放しようとしたけれども、千尋は嫌だと言うかのようにぎゅっと忍人の身体に抱きついた。

「おかしくありません」

抱きついたまま、千尋は訴える。

「もっと強く抱き締めてください」
「千尋……」

千尋の言葉に、忍人はもう一度遠慮がちに背中に腕を回す。
足りない……。
もっと、確かな抱擁が欲しい。
そうしてくれないと、苦しいままな気がするから。

「おかしいですか?」
「いや、おかしくない」

笑いながらそう言うと、忍人は千尋を抱き締める腕に力をこめた。
きつく、きつく抱き締められる。
ただ、ただ、きつく……。
忍人のぬくもりを感じて、まだ胸の内に残っていた正体の分からない苦しさが消えていく。

「しばらく、こうしていてくれませんか?」
「言われなくても……。俺こそ、君を放せそうにない」

もう離れまいと言うかのように抱き合う二人の上に、桜が舞う。
あの日血に染まった桜が、この時空で、ようやく結ばれることのできた二人を祝福するかのように。
桜は、巡り続けるその真実を知っているから。

忍人EDは、とても美しい。大団円EDがあったとしても、これが本当のED。だから、一度書いてみたかったのです。