誓約

音も無く、降りしきる雪。
豊葦原の大地を、木々を、人々までも白く染めていく。

今年は、例年よりも雪が早い。
そんなことを考えつつ、忍人は降りしきる雪の中を歩いていた。
うっすらと積もった雪を踏みしめる音が、復興されつつある橿原宮の中で、やけに響く。
ふと見上げてみれば、地面だけでなく、宮の屋根もうっすらと雪に覆われていた。
吐いた息は白く、空に吸い込まれ消えていく。
春に新王の即位式を控え、宮の中は慌しく動いていたが、この雪がひとときの静けさを運んできた。

雪を見ていると、天鳥船に乗り、常世の国との戦に明け暮れていた日々が、遠い昔のことのように感じられる。
ほんの数ヶ月前のことだというのに。
戦が終わった後、忍人は体調が優れず、床に臥せっていることが多かった。
将軍として兵を率い、前線に出て戦うことを日常としていた忍人にとって、ただ臥せっているだけの日々は、途方も無く長く感じられるものだ。

5年という歳月を、忍人は全力で駆け抜けてきた。
それは、長いようでいて短い日々だった。
母国は滅び、忠義を捧げるべき王も無い。
戦う本当の意味を見出せぬまま、暗闇ともいえる世界の中で剣を振るい続けた日々。
敵とみなせば、迷いなく人を殺した。
何人の命を屠ったのか数えようにも、あまりの多さに数えることはできない。
思えば、その日々は罪深きものだった。

しかし、その罪深き日々は急に終わりを告げた。
千尋と出会ったからだ。
千尋は、豊葦原の王となるべき人。
彼女を得たことにより、忍人の世界は光で満ち溢れた。
自分が戦うことの意味を知ったから。
彼女のために剣を振るうことが、忍人にとって生きる意味だ。
それは、戦の終わった今も変わらない。
彼女の作る新しい国を見たい。
できることならば、彼女の傍で、ずっと……。
忍人の願いは、ささやかなものだ。

歩みを止めると、腰に携えた双剣がかち合い、硬質な音が鳴った。
静寂の中、その音はひどく響いて、はっとした。
また、剣が語っている。
決して忘れるなと。
忍人の罪深さの象徴ともいえる双剣……破魂刀。
荒ぶる魂は鎮められ生太刀となった今も、剣は絶えることなく忍人に話しかけてくる。

――重ねた罪は、消えることが無い。

それを決して忘れるなと。
重ねた罪の代償として破魂刀に払い続けたのは、忍人の命。
そんな忍人に残された時間は、あとどれだけあるのか。
己の身体の衰え具合から、もうそう長くないことは充分理解している。
しかし、一日でも……いや一分一秒でも長く生きたい。

そんなことを思いながら空を見上げ、目を閉じた。
今も瞼の裏に浮かぶのは、彼女の姿。
輝くばかりの金色の髪と、この雪のように白い肌を持つ愛すべき王。
舞い降りる雪が忍人の頬にかかり、淡く融けていく。

「ここに、いたんですね」

次に静けさを破ったのは、やわらかな少女の声。
その声は、凍えるような雪の中でも、胸に温かさを与えてくれる。
振り返ると、今まさに思い描いていた人がそこにいた。

「忍人さんが、部屋にいなかったから……。探しました」

千尋はふるりと身体を震わせながら、肩にかけた白い領布をかき合わせた。
そうすることにより、肩に積もっていた雪がはらはらと落ちる。
その雪の量から、彼女が結構な時間、忍人を探して外にいることが伺えた。
無茶をする彼女に、思わず眉を顰める。

「こんな寒い日に、君はいったい何を……」
「ごめんなさい。……でも、今日はどうしても忍人さんに会いたかったんです」

”会いたかった”という彼女の言葉は嬉しいものなのだが、その気持ちを素直に受け入れることはできない。
彼女は、王となるべき人なのだから。
一介の臣下にそのように心を砕くべきではない。

「まもなく王となる君が、そう軽々しく出歩くものじゃない。俺に用があるのならば、呼び出してくれて構わないんだ」

口から出てくるのは、つい小言になってしまう。
しかし、千尋も忍人にそう言われることは重々承知の上だったのだろう。
困ったように首を傾げつつ、領布を胸元でくっと掴む。

「私から、会いに行きたかったんです。呼び出すのではなくて……。忍人さんに王らしくないって、怒られるのは分かっていたけど、どうしても……」
「……冷えるといけない。戻ろう」

このような場所で小言を言っている場合ではないと思い直し、忍人は苦笑を浮かべた。

「あの……待ってください。忍人さんに渡したいものがあるんです」
「俺に?」
「はい」

千尋はそう言いながら、肩に掛けていた領布を外した。
そして、微笑んだ。

「忍人さん。屈んでください」
「……」

訝りながらも屈むと、千尋は軽く背伸びをして忍人の首にその領布をかけた。

「ちょっと、じっとしていてくださいね」

そう言いながら千尋は、首にかけた領布をぐるぐると巻きつけた。
そして、ある程度の長さになったところで、軽く結び目を作った。

「いいですよ。出来ました」
「これは……」
「マフラーです」
「まふらあ?」
「はい。防寒具の一種です。こうやって首に巻くんですよ。忍人さんに贈りたかったんです」
「俺に?なぜ?」

戸惑っている忍人に、千尋は満足げな笑みを浮かべると答えた。

「今日が、忍人さんの誕生日だからです」
「俺の誕生日……」

自分の誕生日など、意識していなかった。
いや、意識したことが無かった。
戦いに明け暮れた日々は、生きるか死ぬかの壮絶なものだった。
だからこそ、自分の”生まれた”日など、忍人にとって何の意味合いも持たなかった。

「お誕生日、おめでとうございます」

しかし、千尋に祝われている今、それはとても意味のあるもののように感じられる。
千尋から贈られた防寒具からは、ほのかに甘い香りがした。
さっきまで、彼女が身に付けていたからであろうか。

「君の気持ちは嬉しいのだが……。しかし、俺は君の誕生日に何も贈っていない」
「いいんです。私の今年の誕生日は終わってしまいましたし」
「終わったからいいと言うわけにはいかない」
「本当にいいんです」
「千尋……」

そう呟きながら吐く息は白く、相変わらず雪が降り、身の凍るような寒さだ。

「忍人さん、戻りましょう。身体が冷えてしまいます」

そう言ってくるりと踵を返すと、千尋はぎこちない足取りで雪の中を歩き始めた。
忍人もその隣に並んで、歩き始める。

「忍人さんには、これまでにもう充分過ぎるくらいしてもらいました……。その上で何かをもらったりしたら、私、罰が当たっちゃいます」
「俺が君にしてやったことなど、大したことはないと思うのだが……」
「具体的にって言われると、たくさんあり過ぎて、どれを挙げたらいいのか迷っちゃいますけど」
「そんなにたくさんしてやった覚えが、俺にはない」
「忍人さんに覚えがないなら、言います」

千尋はその時のことを思い出しているのか、空を見上げた。
彼女の睫毛にふうわりと雪が乗り、静かに融けていく。

「一軍を率いる将として、頼りなかった私をいつだって叱って導いてくれました」
「叱られるのは、そんなに嬉しいこととは思えないのだが……。俺は少々君に手厳しかったかもしれない」
「厳しかったと言えばそうなんですが……。でも、厳しいことを言う方が難しいと思います。やさしくされたら、私、きっと甘えてしまってだめになっていたかもしれません」
「そう感じていてくれたのなら、俺としては嬉しい」
「でも……忍人さんがしてくれたことで、一番嬉しかったのは……」

そこで言葉を区切ると、千尋は空から忍人へと目線を移した。
今は厚い雲の上に隠れている澄んだ青空を思わせる瞳が、忍人を見つめる。

「私との約束を、守ってくれたことです」
「約束……」
「はい。忍人さんは私との約束どおり、破魂刀を使うことをやめてくれました」
「そんなことか」
「そんなことじゃありません。忍人さんにとって、大変なことをお願いしたって自覚はありました。それでも私は……」

そう言いながら忍人を見つめる瞳が、徐々に潤んでくる。
そんな彼女にどんな言葉を掛けたら良いのか分からず、忍人は拳を握り締めた。
こんなとき、彼女を慰めるための言葉を巧みに操ることのできない己に、もどかしさを覚える。

「俺は……一度した約束は、違えない」

やっと出てきた言葉は、ひどく素っ気無いもので。
だが、それこそが忍人の真実の思いだった。

「忍人さん……」

それが、千尋にも伝わったのであろう。
彼女は、忍人を見つめたまま一つ瞬きをした。
途端、大きな瞳からひとしずく涙が零れた。

「千尋……。君に泣かれると、どうしたらいいのか分からない」
「ごめんなさい。悲しい訳じゃないのに、どうして……」

そう言ってぎこちなく微笑みながら、千尋は零れた涙を袖で拭った。
だが、拭った先からまたひとしずく涙が零れていく。
一瞬の逡巡の後、そんな彼女を忍人はそっと抱き締めた。

「俺は……君に贈り物を与えることができていたのだろうか……」
「はい。充分すぎるくらいです」
「充分と言ってくれるだなんて、君は慎ましいな。本当に、欲しいものはないのか?俺は、君がいらないと言っても贈り物をしたい」

そう尋ねると、千尋は忍人の腕の中で微かに身じろぐ。
そして、忍人の背中に遠慮がちに腕を回してきた。

「忍人さんが、そう言ってくれるのなら……欲しいものがあります」
「何が欲しい?」
「物は……いりません」
「では、何を?」
「物の代わりに……もう一つ、約束をしてくれませんか?」
「……俺にできることならば」

千尋は、背中に回した手で、忍人の上着をくっと掴む。

「ずっと、私の傍にいてください」
「……」
「私には、忍人さんが必要なんです……」

すぐに、答えることができなかった。

――ずっと、私の傍に……

忍人は、瞳を閉じた。
自分に残された命では、到底叶え切ることのできない願い。
そんな忍人の思いを代弁するかのように、瞼の裏に、見えるはずの無いゆらゆら揺れながら降る雪が映る。

「だめ……ですか?」

千尋は、小さな声でもう一度問いかける。
いつもは凛とした張りのある声なのに、今はとてもか細い。
そのか細さは、彼女の不安を表しているかのようだ。
忍人は、ゆっくりと目を開けた。
真っ白で……まばゆい光を放つ雪が目に入ってくる。
そして目を下ろせば、雪以上にまばゆい金色の髪が。
眩しさに、思わず目を細めた。
その輝きは、自分は今、確かに生きてここに存在しているということを、忍人に教えてくれる。
そう、彼女は忍人の命そのものだ。

「俺の命が尽きるまで、君の、傍に……」

その言葉を聞くと同時に、千尋は忍人の胸から顔を上げた。

「……一度した約束は、守ってくれるんですよね」
「ああ」

――俺の命が尽きるまで……

忍人は、千尋との約束にささやかな制約を加えた。
それが、今の忍人なりにできる誓い。
そのことを、理解しているからであろうか。
千尋は、淡く笑いながら言った。

「ありがとうございます」
「俺は……一度した約束は、違えない……」

忍人はそう呟くと、そっと千尋の髪を撫でる。

「……約束ですよ」

髪を撫でる忍人の手を、千尋はぎゅっと握った。
交わしたばかりの約束を、そして、忍人の存在を確かめるかのように。
忍人もそれに答えるために、その小さな温かい手を握り返した。
二人に、もう言葉はいらない。

雪の降る、沈黙に支配された世界。
確かなのは、互いのぬくもりのみ。
いつもは雄弁な双剣も、今はただ、沈黙を貫いていた。


大遅刻のお誕生日SSでした。
この後、忍人EDに繋がっていくことを思うと、やるせないですね。何度もループを繰り返しているので、忍人を失う記憶が何となくある千尋という設定です。