無防備な君だから
豪華な飾りの施された袖、そして地面に着くほど長い裾。
王になってからの衣装は重く、活動的な千尋にとって、不自由なことこの上ない。
しかし、そんなことお構いなしで駆け回るのが、日常だった。
天気の良い昼下がり。
春真っ盛りの橿原宮の中を、心地よい南風が流れていく。
千尋は、肩で切り揃えた金色の髪をたなびかせ、公務の合間をぬって散歩をしていた。
「あ……あれは……」
天鳥船の堅庭を思わせる東屋の近くにある木陰で腰掛けている、忍人の姿を見つけ、駆け寄ろうとした。
最近、互いに忙しくしていて会うこともままならない恋人を見つけたのだ。
恋人とは言っても、相変わらず”王としての自覚”だとか、”軽率な行動”だとかで、叱られることが多いので、甘い雰囲気になることはなかなか無いのだけれど。
しかし、久々の逢瀬に、ドキドキと胸が高鳴る。
だが、千尋はあることに気がついて足を止めた。
忍人は、腕を組んで、俯いたままの姿勢で木にもたれかかっている。
そして、うつらうつらと頭が微かに動いている。
どうやら、眠ってしまっているらしい。
以前も、天鳥船でこういったことがあったのを思い出した。
葛城将軍と呼ばれ常世の国の兵たちに恐れられていた彼が、千尋が近づくまで、堅庭の隅で、無防備にまどろんでいたのだ。
それは、彼が普段どれだけ気を張り詰めて過ごしていて、どれだけ疲れているのか伺える出来事だった。
今回も、その時と同じ状況だ。
起こさないように細心の注意を払いながら、千尋は忍人に近づいた。
しかし、足音を忍ばせて近づいているつもりなのに、やはり衣擦れの音がしてしまう。
(このままじゃ、せっかく気持ちよさそうに眠っているのに、起きてしまうじゃない)
仕方の無いことだが、心の中で文句を言いながら千尋は木陰へと近づいていく。
二人の距離が近づくほど、この音で目を覚ましてしまうかもしれない。
そこで千尋が取った方法は、着物の裾と袖を持ち上げて、音を立てずに近寄ることだった。
裾を持ち上げたことにより、太腿が微かに見えてしまうが、そんなことは全く気にならない。
千尋は、5年にも及ぶ異世界での学校生活で、制服の短いスカートを穿きなれていたからだ。
それに比べたら、今はまだ露出が少ない方だ。
そのままそろりそろりと近づき、すぐ傍までたどり着くと、忍人を覗き込むようにひざまずこうとした。
しかし……。
「君は、いったい何をしているんだ」
「え……?」
そこで、思いもよらぬ言葉が掛けられる。
腕を組んで俯いた姿勢のまま、忍人が低い声で尋ねてきたのだ。
千尋は、きょとんとしてその場で立ちすくんだ。
すると、俯いていた忍人の顔が上げられ、千尋の方を見た。
先ほどまで寝ていたとは思えない、とても険しい表情。
眉間には、深い皺が刻まれている。
これはまずい。
かなり怒っている。
しかし、怒られるようなことを自分はしたのだろうか。
だが、現実として忍人は怒っている。
どんな言い訳をしようか咄嗟に考えるのだが、彼が怒っている理由の見当が付かないので、うまい言い訳が出てくるはずも無い。
「あのー……忍人さんが眠っているから、起こしたらいけないかなと思って……それで……」
「それで?」
「それで、音を立てないように、こうして近づいてきました」
千尋の言葉を聞くと、忍人は深い溜息をついた。
「まったく君は……。王としての自覚というか、慎みというか……。そういったことを考えて行動しているのか?」
「ごめんなさい」
千尋は、着物の裾と袖をぎゅっと掴んだままで俯いた。
どうやら自分は、忍人の言うところの”軽率な行動”を取ってしまっていたようだ。
謝った千尋から目を逸らすと、忍人は軽く咳払いをした。
「忍人さん?ひょっとして、体の調子が悪いんですか?こんなところじゃなくて、部屋できちんと休んだ方が……」
「いや。体調は悪く無い」
「それなら良かった」
ほっとして微笑むと、忍人はもう一度咳払いをする。
いつもの忍人とは違う様子に、千尋は首を傾げる。
「……いい加減に、その格好を止めてくれないか」
「え?」
「だから、いつまでそんな風にしているのかということだ。はっきり言わないと、君は分からないのか?」
そう言い放つ、忍人の頬が微かに赤みを帯びていた。
そこで、ようやく千尋は理解した。
慌てて、着物の裾と袖を掴む指を離した。
忍人は、今度は安堵の溜息を漏らした。
「君は、いろいろと無防備すぎる」
「はい。これからは気をつけます……」
反省してしゅんとなった千尋を見つつ、忍人は念を押すように付け加えた。
「ここにいるのが、偶然にも俺だけだったから良かったものを……。宮中では、誰の目があるか分からないだろう」
しかし、その言葉に引っかかりを覚えて、千尋はすかさずたずねる。
「分かりました。……じゃあ、宮中じゃなくて忍人さんだけだったら、こういうことしてもいいんですね?」
「な………!?」
千尋の言葉に、忍人は絶句した。
そんなこと構わず、千尋は続ける。
いつも怒られてばかりだから、たまにはお返しもしたかった。
「今の忍人さんの言葉は、そういう意味に取れます」
「千尋……。君は……」
みるみるうちに忍人の表情が、険しくなっていく。
普通の人ならば、忍人のこの表情を見ただけで、逃げ出していただろう。
だが千尋はひざまずくと、そんな忍人にそっと抱きついた。
「本当は、近づいてこうしたかったんですよ?最近、あまり会えなくて寂しかったんです」
「千尋……」
忍人の手が、遠慮がちに千尋の肩に触れる。
「でも、宮中では止めた方がいいですよね。これからは、忍人さんだけのときに、こういうことはします」
寂しい気持ちを堪えて、千尋はすぐに離れようとした。
しかし、忍人がそうすることを許してはくれなかった。
「君は、本当に無防備すぎる……」
遠慮がちに肩に触れていた手が、千尋の背中に回されてぎゅっと抱きしめられた。
その力強さに千尋は驚いたが、それも一瞬で、愛しい人の腕の中にいる幸福感に満たされていく。
「こんなところで、いいんですか?」
「いいんだ。俺と君の関係は、すでに皆知っている。ただ、さっきのような無防備な行動は慎んでくれ」
「はい」
いつも厳しい忍人が見せるやさしさに、千尋は嬉しくなって背に回す腕に力を込めた。
恋人たちを見守るように、春風が木立の影を揺らしていた。
初の忍人×千尋SSです。拍手にて公開していました。