独占欲

桜の季節は終わり、鮮やかな新緑の季節になった。
千尋は、心地よい日陰を作る木の下に腰掛けて、空を見上げる。
木漏れ日の眩しさに、思わず目を細めた。

少し、早く来すぎたのかもしれない。
待ち合わせは、陽がやや西に傾く頃という曖昧なもの。
時計の無いこの時代では、待ち合わせをするのに不便を感じることもある。
しかし、訪れる恋人を今か今かと待つこの時間も、いとおしく感じるのだから不思議なものだ。
初夏の風が肩で切り揃えられた髪を、やさしく揺らす。
もう夏と言ってもよいくらいの気候だ。
いつもの正装ではなく、身軽な服装で来てよかった。
白花色の衣は、今の季節に合っている。

王になってから、慌しい日々が続いていた。
今は、その立場から解放されて、千尋としての時間だ。
一つ軽く伸びをすると、木の幹に凭れ掛かった。
元気なつもりでいても、激務の疲れは着実に溜まっているのだろうか。
禍日神との戦いを終えて即位してからというもの、殆ど休みの無い状態で駆け抜けてきたのだから。
待っているうちに、ひどく眠くなってきた。
うつらうつらとなりかけながら、首を振る。
こんなところで昼寝をしているのが見つかったら、確実に堅物な恋人……忍人に怒られるだろう。
王としての自覚はあるのか、と。

――5分くらいなら……いいよね?

少しだけでもいい、今は眠りたい。
忍人が来る前に、目覚めればいいのだ。
眠りの誘惑に抗うことができず、千尋はそのまま目を閉じた。






「千尋……。千尋……」

肩を揺すりながら自分の名を呼ぶ声に、眠りに中にいた意識が呼び覚まされる。
だが、完全に目覚めることはできない。
瞼が重くて、とても開きそうにない。

「もう朝……?」

そう呟くと、起こしにかかる声から逃れるように顔を背ける。
学校に遅刻してしまわないように、風早が起こしに来たのだろう。
でも、千尋としては、もう少し惰眠を貪っていたい気分だ。

「あと5分……」
「5分?」
「うん。先に朝ごはんを食べていいから……。風早も仕事があるでしょ?」
「千尋……」
「お味噌汁が冷めちゃったら、自分で温めるから……。もう少し……」
「……君は、寝ぼけているのか?」

風早は、非難するような厳しい口調でそう言った。
しかし、その口調とはうらはらに、眠りの世界に戻ろうとする千尋の頬に触れ、やさしく撫でてくる。
いつもとは、違う。
風早は、こんな起こし方をしない。
千尋のことを、”君”だなんて呼ばない。
この人は……。
千尋は、重い瞼をやっとの思いで開けた。
ぼやけていた視界が、はっきりとしてくる。
とても近くに、覗き込んでいる忍人の顔があった。
起こしていたのは風早ではなく、忍人だった。
千尋が目を開けると同時に、頬に触れていた手が離れ、覗き込んでいた顔も離れていく。
そうする忍人は、どことなく気まずそうな雰囲気だった。

「あれ……?忍人さん、なんで……?」

寝起きのため、掠れた声が出た。
寝ぼけながらも、辺りを見回す。
ここは、別世界にいた頃のベッドの中ではない。
もちろん、宮の寝台の中でもない。
千尋が今の状況を理解するのに、数秒かかった。
そして理解すると同時に、眠気が一気に吹き飛んだ。

「ああ!少しだけのつもりだったのに……!」

千尋の言葉を聞くと、忍人の眉間に皺が寄った。

「早く来すぎてしまって待っているうちに、すごく眠くなってきて……」
「……」
「すぐに、起きるつもりだったんです……」

顔色を伺うように話す千尋を見て、忍人は微苦笑を浮かべた。
そして、千尋の隣へと腰掛ける。

「ずいぶん、疲れているようだな」

意外にもやわらかな口調でそう言われて、千尋は目を瞬かせた。
厳しい叱責を覚悟していたのに。

「あの……」

どんな言い訳をしようかと思っていたから、拍子抜けしてしまい言葉が出てこない。
忍人は、千尋の方を見ると言った。
青緑色の彼の瞳が、どことなく憂いを帯びている。

「あまり無理はするな。疲れているようなら、自分が休むことを優先してくれて構わない」
「え?それって……」
「俺と会うよりも、休むことを優先しろと言うことだ」

叱られる代わりに、まさかこのようなことを言われるとは……。
忍人なりの気遣いなのだろう。
しかし、千尋はその気遣いをすんなりと受け入れることはできない。
会わないで休めと言われるくらいなら、まだ叱られた方がよかった。

「……忍人さんに会わないで休んでも、休んだ気持ちになれません」
「?」
「すごく会いたくなって、今どうしているんだろうってぐるぐる考えちゃって……。絶対、休むどころじゃなくなってしまいます」

千尋の言葉に、忍人は溜息をついた。

「あまり俺を困らせるな。君の身体が心配なんだ」
「だめですか?」

忍人に会いたいと思うのは、自分の我侭なのだろうか。
会いたいと思うのは、独りよがりな想いなのだろうか。
なんだか悲しくなってきて、千尋は俯き、着物の裾をぎゅっと掴んだ。
すると、忍人が呟いた。

「君は、あまり寝起きがよくないだろう……」
「え?」
「起こしても、なかなか起きなかった」
「そうですね。一度寝ちゃうと、どうしても……」

忍人は、すっと千尋の頬に触れる。
千尋ははっとして俯いていた顔を上げ、忍人をひたと見つめる。

「あんな風に無防備な顔を晒して外で眠られては、俺が困る」
「どうして?」
「あんな顔を見せられたら……」

そこでいったん言葉を区切ると、忍人はゆっくりと顔を近づけてくる。
そして、軽く千尋の唇に己の唇で触れ、そのままふいと顔を逸らした。

「つい、こんなことをしてしまいたくなる」

かあっと頬が紅潮してくるのを、千尋は感じた。

「こんなことをされても、君はまったく起きなさそうだから困る」
「え……あ……あの、ごめんなさい」

どう反応したらよいのか分からなくて、つい謝ってしまった。
真っ赤になっているであろう顔を見られたくなくて、思わず背中を向ける。

「万が一ってことが、ありますよね……。でも、忍人さんに会わずに休むってのは、いやです」
「君は……」
「だって、好きな人に会える楽しみがあるから、元気が出て仕事を頑張れることってあるじゃないですか」

そう呟いた千尋の腕がふいに掴まれ、後ろへと引き寄せられた。
予期せぬ行動だったので、千尋はそのまま忍人の胸に凭れ掛かるような姿勢になった。
その姿勢のまま忍人の腕が身体に回されて、ぎゅっと背中から抱き締められる。

「君は、困った王だな」

忍人はそう言うと、千尋の首筋に顔をうずめた。

「忍人さん?」
「今は、休むんだ」
「今……ですか?」
「ああ」

困惑して尋ねると、忍人はふっと笑いながら返事をする。
彼の息がかかって、首筋がくすぐったい。

「それってまさか、ここで……ってことですか?」
「そうだ。今ならば、俺が傍にいる」

普段は厳しい恋人にやさしい声音でそう言われて、断れるはずが無い。

「……分かりました」

千尋は、とりあえず目を閉じてみた。
火照った頬に心地よく、風が吹いていく
しかし、このような状況で眠れるはずがなかった。
忍人の腕の中に、いるのだから。
目は冴えていく一方で、胸がものすごい勢いで鼓動を刻み、頭に響いてくる。
だが、休めと言われたからには休まなくてはと思い、目を閉じたままの状態を維持した。

「千尋……」
「……」

寝たのか確かめるように名前を呼ばれたので、せめて寝たふりだけでもと黙って身を硬くする。
それに気がついているのか気がついていないのか、忍人は聞かせるともなしに呟いた。

「君は……。風早に、いまだに起こされているんだな」
「な……なんでですか!?」

忍人の言葉に、千尋の身体がぴくりと跳ね上がった。
それを宥めるように、身体に回されていた忍人の右手が、千尋の髪を撫でる。

「やはり、休んでいなかったな……」
「え……あ……分かっていましたか」
「ああ。君は分かりやすい」

髪を撫でながら、忍人は言った。

「先ほど寝ぼけていたときに、君は俺のことを風早と呼んだからそう判断したのだが、違うか?」
「5年間、風早と那岐と暮らしていたから……。でも、王になった今は、さすがに起こされていません。私の寝室には、お世話をするごく限られた采女しか入りませんし」
「そうか、それならばよかった」

忍人は安堵した様子でそう言うと、髪を撫でるのをやめてまた千尋を抱き締めた。

「君の無防備な寝顔を見られるのは、俺だけでありたいからな。今宵からは」
「あの……それって……」

忍人の言葉の真意を問いたくて、千尋は振り返ろうとした。
だが、そうはさせまいとするかのように、忍人が再び首筋に顔をうずめる。
ぴたりと背中に押し付けられた彼の胸から、鼓動を感じる。
それは、千尋と同じくらい速い鼓動だった。

「いや、君は気にしなくていい。今は、とにかく休むんだ」

気になりますと言いたかったが、そう告げる代わりに千尋は、身体に回された忍人の腕にそっと触れた。
相変わらずドキドキして休めそうにないし、先ほどの忍人の言葉が頭の中をぐるぐる回りだして更にその状態に拍車をかけている。
けれども、抱き締めてくる腕の力強さと重なる鼓動に、どうしようもないほどの愛しさと安らぎを感じているのは確かで。
無防備な顔を忍人に見せるだけではなく、自分も彼のそんな顔を見たいという気持ちが高まってくるのを、抑えることができそうになかった。

私が書く忍人は、デレデレしすぎちゃっているかも。