――真島。花を……お花を、持ってきてちょうだい。

花の好きなお姫様

真島が部屋の中へ入ると、寝台で横たわっていた百合子がゆっくりと起き上がった。
ほっそりとした肢体が、薄暗い部屋の中で妙に白く浮かび上がる。
着物も身に着けず、布団もかぶらず、裸のまま眠っていたことが分かる。
絶え間なくやって来る客の相手に、よほど疲れていたのだろう。
無意識のうちに、真島は眉間に皺を寄せる。
しかし、疲れすぎると真島が部屋を訪れても目覚めないことが殆どなので、今日はまだましな方なのかもしれない。

「真島。また、お客様が来たの?」

ぼんやりとした表情でたずねてくる百合子の隣に、真島は腰掛けた。

「いえ、違いますよ。今からは、俺との時間です」
「真島が買ってくれたの?うれしいわ」

百合子は、あどけない笑顔を見せた。

かつての野宮子爵の館は、今や高級娼館として世に知られるようになっていた。
そして、そこの娼婦は、亡き子爵の令嬢である野宮百合子であることも……。

美しく気品のある、華族のお姫様の成れの果て。
立て続けに父母を亡くし、兄は入水自殺、頼りにしていた家令は失踪。
そんな百合子に残されたのは、たくさんの借財と華族という名ばかりの称号。
そして、真島と百合子しか知らない、殺人という秘められた罪……。
絵に描いたようにかわいそうなお姫様は、あっけなく気が狂ってしまった。
美しいけれど、気違いのお姫様。
しかし、それでも、客が絶えることはなかった。
花が蝶を招き寄せるように、百合子の甘い香りは客を招き寄せるのだ。
百合子との時間は、決して安いものではないはずなのに。

かつて野宮家の園丁であった真島は、そこで売春の仲介をしていた。
もちろん、本業である阿片の密売も、今も秘密裏に行っている。
だから、こうして今日のように百合子との時間を買うことなど、造作も無いことだった。

「姫様、一ついいですか?休むときは、着物を着てくださいね」

真島は裸のままの百合子に、そっと着物を羽織らせる。
どうせ、すぐに脱ぐことになってしまうのに……。
百合子は娼婦であるから、一日のうちで、着物を着ている時間のほうが短い。

「ありがとう、真島。でもね、お仕事が終わるととっても眠たくて、着物を着られないの……」
「ええ、そうでしょうね。何人も男の相手をするのは、疲れるでしょうからね。でもね、姫様……」

真島は、乱れた百合子の黒髪を手ぐしで整えてやりながら目を細めた。

「姫様が風邪をひいてしまったら、大変なことになりますから……」
「…………」

真島の言葉を噛み締めるように、百合子は、俯いて沈黙した。
しばらくなにやら考えていた様子だったが、ふと顔を上げる。

「私が風邪をひくと、お仕事が出来なくなってしまうから?」

首をかしげながら発した言葉は、真島の期待通りのものだった。
真島は笑みを浮かべながら、大きく頷いた。

「そうです。よく分かっていますね」
「お仕事が出来ないと、お金が稼げない……」
「ええ……」
「私がお金が稼げないと……。真島と、一緒にいられなくなっちゃう?」
「…………そうですね」
「それは、いや……。着物はきちんと着るわ」

百合子は唇を噛むと、着物に袖を通し、慌てて帯を締め始める。
その横顔を真島はしばらく見つめていたが、何だか泣けてきそうになってしまい、目を逸らした。

心を守るための退行……といえば良いのだろうか。
今の百合子の言動は幼子のようであり、ここ数年の記憶が、ほとんど抜け落ちてしまっている。
あんなに愛し慈しんでくれた父母や兄のことも、頼りにしていた家令のことも、すでに百合子の記憶からは消えてしまっている。
しかし、記憶が欠けてしまっているにもかかわらず、目の前にいる真島のことだけは、認識して頼りにしているようだった。
だがそれも、かつて野宮家に仕えていた園丁としての真島ではないようだが。
形は違うものの、百合子は今や真島を誰よりも頼り、慕っている。
だからこそ、そんな百合子の傍を、真島は離れることができなかった。
すべて無くしてしまった百合子を捨て、闇の世界へと帰っていく選択肢も現在進行形で真島にはある。
ここを去れば、気の違ってしまった百合子の中から、きっと真島の存在も消えていくだろう。
そして、あとはのたれ死ぬだけだ。
そうすれば、真島の復讐はすべて終わるのに……。
それなのに、できなかった。
何より真島自身が、自分はどこへ行けばよいのか、すでに分からなくなっていた。
百合子のことは、憎いのに、愛しくて、捨てられない。
いわば今の二人は、迷子になった幼い兄妹のような存在。
どこへ続くとも分からぬ道の真ん中で、頼れるのは互いのぬくもり。
そんな日常が、今日も続いている。

ふと、寝台の横にある円卓の上に、花が一輪置かれているのに、真島は気が付いた。

「姫様。これは、どうしたのですか?」
「あ……!」

真島に言われて思い出したように、百合子は花を手に取った。

「さっき来た人がくれたの。私に似合いそうなお花だからって……。真島、このお花の名前は、何ていうか知っている?」
「撫子……ですね」
「なでしこ?可愛いらしい名前ね……」

いとおしそうに花を撫でる百合子の指先を、真島は冷えた瞳で見つめていた。
先ほど帰っていった男の顔を、思い出す。
百合子と過ごすには、かなりのお金を必要とするのに、ここ最近足しげく通い始めた成金。
花を贈るほど、娼婦である百合子に入れ込んでしまったとは……。
何よりも、百合子のこの幸せそうな顔。
あの男は、消さなければなるまい。

「ねえ、真島。花瓶はないかしら?このままでは、なでしこが枯れてしまうわ」

百合子の問いを無視して、真島はその華奢な腕を乱暴に掴んだ。

「真島、痛い……」

形の良い眉を、百合子は顰める。
真島は、そのまま百合子の身体を寝台に押し付けるように倒した。

「真島、花瓶……んっ」

尚も言い募る唇を、真島は己の唇で塞いだ。
舌先で口腔内を性急に探ると、従順な百合子の舌が、答えるように絡み付いてくる。
甘い吐息を零しながらも、あっという間に身体は弛緩し、手にしていた撫子の花が寝台の上に音もなく落ちた。
それを横目に見ながら、真島は先ほど身に着けたばかりの百合子の着物の帯に手を掛けた。



百合子の中で果てると、真島は荒い息を吐きながら男根をずるりと抜いた。

「あ……」

真島が中から出て行って喪失感を覚えたのか、ぐったりとしていた百合子は目を開けた。
そして、何かを訴えかけるかのように、真島の顔をじっと見つめる。

「姫様、どうしたのです?まだ足りないのですか?」
「ううん、違うわ……。少し、さびしかっただけ……あ……!」

せつなげに視線を彷徨わせていた百合子は、はっとした様子で起き上がった。

「お花が、潰れちゃったわ……」

寝台の上で、無残に潰れてしまった撫子に気づいたのだ。
事に及べば潰れてしまうことは承知の上で真島は行為に及んだのだが、百合子にとっては非常に不本意なことだったらしい。

「ごめんね……。かわいそうに……」

目を潤ませながら、百合子は撫子の花を拾った。
一瞬にして、百合子の意識が、真島から花のほうへ行ってしまったことが、妙に腹立たしかった。
真島ではなく、他の男から贈られた花のほうへ……。
苛立ちを抑えきれず、真島は再び百合子の身体を寝台に押し倒した。

「……真島?」

真島の表情を伺い、百合子は怯えたような表情を見せる。
自分の何が真島の機嫌を損ねてしまったのか、真剣に考えているのだろう。
無垢な、幼い心で……。

「姫様。花なら、俺がまた持ってきてあげますよ」
「……本当?」
「ええ」
「うれしいわ。今度は、潰してしまわないように気をつけなくちゃ」

百合子は再び、潰れてしまった撫子の花に目を移す。
真島は、百合子の手からそれを取り上げると、円卓の上に無造作に置いた。

「あ……」

撫子の行方を、百合子は目で追った。
視界を遮るように、真島は百合子の顎を捕らえて、自分のほうを向かせる。
百合子はしばらく探るように真島の瞳を見つめていたが、ふわりと微笑むと言った。

「約束よ、真島。お花を、必ず持ってきてちょうだい」
「ええ」

短くそう答えると、真島は百合子の秘部を指で探った。
先ほど真島が放った精と、百合子自身の蜜で充分に潤っているそこをかき混ぜると、粘着質な水音とともに嬌声が上がる。

「今日もたくさんの男を銜え込んだのに、姫様のここは、まださびしいのですか?あなたは、淫乱ですね」
「あ……あぁ……違う……。違うの……!」

快楽のせいなのか、責められているせいなのか。
百合子の瞳から、ぽろぽろと涙が零れる。

「違う?こんなに濡らしているのに?さっき、さびしいと言っていたでしょう」
「さびしいのは……。いつも終わると、真島はいなくなってしまうもの。次はいつだか分からないでしょう?それが、さびしいの……」
「……」

狂おしいほどの愛しさが、こみ上げてくる。
百合子がこれ以上言葉を継げないように、真島は乱暴に口付ける。
それでも、口付けの合間に、百合子は訴えた。

「真島。花を……お花を、持ってきてちょうだい……」

気を失い、果てるまで、百合子はうわ言のように繰り返した。



次の日、庭にあつらえた花園にしゃがみ込んで、真島は花を見繕った。

かつて、野宮子爵が存命だった頃のままに、庭は、今もなお美しく維持されている。
真島が、怠らず手入れをしているからだ。
もう真島は園丁ではないのだから、人を雇えばいいのだが、敢えてそうしなかった。
高級娼館としての体裁を、自ら納得の行くように整えるため……というのが表向きの理由だ。
しかし、本当の理由は二つある。

土に触れ、植物の世話をしていれば、何も考えずにいられるから。
そんな時間が、今の真島には必要だった。

そしてもう一つの理由。
この庭は、真島にとって特別な場所だったから……。

『きれいなお花ね』

百合子の声が聞こえたような気がして、真島ははっと顔を上げた。
しかし、幻聴であったことがすぐに分かり、深くため息を吐く。
真島が姫様と……百合子と出会ったのは、ここだった。

忌むべき野宮家に、園丁として入り込むことに成功した真島。
機会を伺いながら、庭の手入れをする日々の中で、百合子との出会いはあまりに鮮やかだった。

『見かけない顔ね。新しく雇われた方?』

そう問いかけてきた、気品のある少女。
黒目がちな潤んだ瞳に、一瞬にして心が奪われた。
すぐに分かった。
彼女が、自分の実の妹であることが……。

『お前の名前は、真島と言うのね。覚えたわ』

笑顔が眩しかった。

『また、見に来てもいいかしら?お前の育てた花……好きだわ。とてもきれいよ』

その申し出に、真島は無意識のうちに頷いていた。
そして、自覚した。
真島は、この一瞬の出会いで、実の妹を愛してしまったことを……。

秋の気配を感じさせる風が、回想に耽っている真島の前髪を撫でていく。
百合子に持っていく花を決めると、真島は一輪手折った。

百合子は、もう覚えていないだろう。
あの、鮮やかな出会いを。
たくさんの人たちに、無条件で愛されていた日々を。

そんなことを考えながら、真島は花を選んだ。



その夜、真島は百合子の部屋に、花を届けるために訪れた。
薄い襦袢を羽織って寝台に横たわっていた百合子は、真島の来訪に気がつくと飛び起きた。

「真島。今日も来てくれたの?」
「ええ。花を持ってきました。昨日約束しましたよね」
「覚えててくれたのね。うれしいわ」

百合子はふうわりと笑顔を浮かべて、手を伸ばしてきた。
その手に、手折ってきた花を一輪持たせる。
最近、庭で育てるようになった花。
そう、それは、桔梗の花……。

「……」

百合子は、無言で手渡された花を見詰めていた。
部屋を、沈黙が支配する。

「姫様?」
「……」

すると、百合子の頬を、音も無く涙が伝っていく。
久しぶりに見る百合子の感情の揺れに、真島ははっとした。

「どうして泣くんですか?いりませんでしたか?」

百合子は違うと言うように、勢いよく首を振った。

「真島が約束を守ってくれて、うれしいわ。それは、本当よ……」
「じゃあ、どうして?」
「お花は、とてもきれいなのに……。どうしてかしら?とても、悲しいの……」
「姫様……」
「とても、悲しいの……」

そう繰り返して涙を流す百合子を、堪らない気持ちで真島は抱き締めた。
身体が、小刻みに震えてくる。

「許してください、姫様……」

どうして、この残酷な花を自分は選んでしまったのか。
ひとりで綺麗なところに行ってしまった百合子を、ただ、呼び戻したかったのだろうか。
そして、これ以上、壊れようのない心を、さらに壊してしまいたかったのだろうか。
なんて、残酷なことだろう。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「どうして真島が謝るの?お花はきれいなのに、泣いてしまう私のほうが悪いのよ?」
「姫様、ごめんなさい……」

百合子は、震える真島の身体を労わるように、その背をそっと撫でた。
泣かせてしまったのは真島のほうなのに、これでは立場が逆だ。

「お前の育てた花……好きだわ。とてもきれいよ」

百合子の言葉に、真島ははっとした。
かつて、同じ言葉を彼女は発している。
まさか、思い出したのだろうか。

「姫様。どうして俺が育てた花だと……?」
「……どうしてかしら?そんな気がしたの。真島がとても大切そうにしていたから……」

そう言うと、百合子は目を伏せた。
そして、もう一度目を上げると真島を見つめて言った。

「真島。花を……お花を、持ってきてちょうだい。次に来るときも……。もう、お前の花だけなの。私は、ここから外に出られないから」

どこまでも澄んだ瞳。
ああ、このお姫様を穢すことは、これから先もきっとできない。



――真島。花を……お花を、持ってきてちょうだい。

真島は、今日も花を一輪、百合子のもとへ持っていく。
父母や兄はすでに無く、他に頼るものも無い、かわいそうな華族のお姫様。
お姫様なのに娼婦だから、ほとんど着物を着られない。
そんな裸のお姫様を飾るのは、今や、真島の育てた花だけ。

……それで、いい。

真島のEDはどれもおいしくいただけるのですが、私は個人的にこの”おかしなお姫様ED”が好きだったりします。
百合子に対する憎しみや愛を涙ながらに語る真島に、私が涙しました。
真島がいくら語っても、百合子にはもう伝わらないのが、またせつないですね。